2018年09月24日

2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅Iキリシタン橋

ラストです。
腹切岩を過ぎ山道をさらに進むとキリシタン橋があります。

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小さな小川に架かる石橋です。
橋の左手には石垣が見えました。

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このあたりに教会堂があったのかもしれないということでした。
キリシタン橋を渡り300メートルほど登ると、
秋月種時(秋月氏14代当主)のお墓があるそうです。
誰もいない静寂の中、小さな石橋だけが歴史を物語っていました。

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2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅H腹切岩

豊臣秀吉が九州平定へ向かったとき、
秋月種実は島津義久と同盟して秀吉軍と戦うものの降伏。
秋月から日向財部へ追われます。
それ以前に秋月の重臣、恵利内蔵助暢堯(えりくらのすけのぶたか)は
秀吉勢と和睦するよう種実に進めますが理解されず切腹しました。
ここが切腹したと言われる巨岩です。

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昭和11年にゆかりの人々によって殉節碑が立てられています。

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2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅G臼井六郎の墓

古心寺には臼井六郎の墓もありました。

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臼井六郎は日本最後の仇討ちをした人物として知られています。
幕末最後の年に、藩内の政治的対立によって暗殺された両親の仇討ちを13年後に果たし、
仇討禁止令で懲役となりました。

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2018年09月23日

2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅F古心寺

筑前秋月藩の初代藩主黒田長興(黒田長政の次男)が
父の菩提を弔うために秋月陣屋の陣下に建立した寺。

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秋月黒田家当主歴代の菩提寺です。
奥方のお墓もあります。
若くして亡くなった藩主や奥方もいます。
どれが誰のお墓で享年も記されているので分かりやすいです。

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黒田長興公のお墓
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2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅E秋月博物館】

昨年オープンした秋月博物館。
杉の馬場通に面した秋月稽古館跡に建てられています。
秋月とキリシタンの結びつきにはあまり知られてませんが、
かのルイス・デ・アルメイダも訪れている重要な地。
大友宗麟の庇護のもと、
豊後府内で私財を投じて日本初の病院を建て、
人々を救ったアルメイダは秋月の領主、秋月種実を訪ねてきました。
アルメイダは厚遇され10日滞在して24人に洗礼を授けました。
再訪し、大勢の人に説教をし、
キリシタンとなった秋月の武士は
陣中に十字架を描いた旗を立てたのだそう。
その後秋月氏は日向に転封され、
黒田官兵衛の弟、直之が秋月の領主となります。
直之は熱心な信者で新しい教会も建て、
秋月はキリスト教伝道の根拠地となり、
地区の受洗者は2000人になったといいます。
しかし直之の死で衰退。
長興が藩主となると教会は破壊され、
弾圧は厳しくなりました。
博物館にもキリシタン関係の資料が展示されています。

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2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅D黒門茶屋

お昼は秋月杉の馬場の「黒門茶屋」で。
民芸調の食事処。
お土産も売っています。
奥にお座敷があり、そちらでいただきました。

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2018年09月22日

2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅Cカトリック本郷教会

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大刀洗町の本郷にも潜伏キリシタンはいました。
本郷教会の建物は新しく、現在の神父さんは若いベトナム人でした。

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2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅Bジョアン又右衛門殉教記念碑】

今村カトリック教会はジョアン又右衛門の墓の上に建てられたものでした。
ジョアン又右衛門が磔刑となって亡くなった地には記念碑が建てられていました。

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細い道筋なのでマイクロバスの中から垣間見ただけでした。
ジョアン又右衛門は五島の宇久島で洗礼を受け、
後藤寿庵と名乗りました。
奥州では伊達政宗の厚遇を受けたといいます。
禁教令で政宗から追放されますが、
今村、本郷を中心に信者たちを教え導きました。
そのため幕府は棄教を迫りましたが、断じて応じず、
見せしめとしてこの地で磔刑に処せられたということです。

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2018年09月21日

2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅A大刀洗町立図書館・郷土資料室】

大刀洗町立図書館には帚木蓬生氏の「守教」の手書き原稿が展示されていました。
二階の郷土資料室では「邪宗門一件口書帳」や
「ド・ロ版大版画(地獄)」などの潜伏キリシタン関係の資料を展示。
「邪宗門一件口書帳」はキリシタンの最も古い資料で、
1867(慶応3年 )に潜伏キリシタンの取り調べが行われ、
そのとき藩に提出した供述書の写しということ。
「ド・ロ版大版画(地獄)」は禁教令が解けたあと、
今村と長崎の信者の交流でもたらされたもの。
教会がない時代、信徒が集まった土蔵にかけられ、
地獄とはこういうものだと版画で教えました。
「ド・ロ版大版画(地獄)」は現在九博で修復中とのことです。

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2018.9.19今村・秋月潜伏キリシタンの遺構を巡る旅 @ 今村カトリック教会

帚木蓬生氏の「守教」でスポットライトが当てられた今村・秋月の潜伏キリシタンの物語。
その舞台を巡るM氏倶楽部の旅に誘われました。
本を読んで楽しみにしていた日がついに訪れました。
まずは今村カトリック教会。

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当日のガイドは信徒の青木さんです。
ここは以前にも行ったことがありました。

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ヨーロッパの教会のような煉瓦造りの建物とシンプルなステンドグラス。
田園のただ中に忽然と現れた姿に感動しました。

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当時は長い歴史の中で、どんなふうに信仰が生まれ、
守られてきたのかは興味の対象外でした。
小説の力は素晴らしいものです。
今村カトリック教会の設計は鉄川与助。
大正2年に完成しました。
建てられた場所は磔となった信者ジョアン又右衛門の墓の上と言われています(「守教」では今村の庄屋平田道蔵の墓となっています)。
200年もの間、寺の門徒を偽装したりして、キリシタンであることを隠し、信仰を守り続けた信者たち。
長崎の信徒発見の2年のち、大浦天主堂の信徒4人が今村に状況を探りにきます。
そして彼らは今村信徒発見をするのです。
今村の信徒発見は紙芝居になっていて、
青木さんが読んでくださいました。

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ビデオは大刀洗図書館で見ることができます。

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教会内部は撮影できませんが、
チケット売り場で売っているファイルに印刷されています。

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メモも売ってました。
posted by 理乃 at 00:13| Comment(0) | 福岡県三井郡大刀洗町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする