2019年02月15日

大刀洗町の史跡見学A高橋城跡

大刀洗町下高橋にある「高橋城跡」は中世の豪族、高橋氏の居城跡。
今の竈門神社境内を中心とした一帯が城跡のよう。

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高橋竈門神社

木戸、溝口、屋敷という地名と北西南を巡る堀が残っていました。
「筑後国史」には「平城なり。縦五十三間、横二十五間、東に広さ三間の堀あり。西にまた二つあり。一つは広さ三間半、一つは二間の堀あり。二の丸は縦四十三間。横二十間、東西に広さ三間、南二間の堀がある。高橋三河守鑑種先祖より続きたる采地の域なり。鑑種、大友の賞によって筑前岩屋の城を賜りこれに移る。
高橋氏の祖は大蔵春実で、藤原純友の乱(939年)平定の手柄により、
上高橋、今、鵜木、下高橋を領地とし、
当初高橋城を居城としていました。
また地名からとって高橋氏と名乗っていました。
室町時代の高橋長種には跡継ぎがなく、
大友宗麟は名家が絶えることを惜しみ、
一族の一万田右馬助に高橋家の家名を継がせ、
高橋三河守鑑種と名乗らせました。
その後、高橋氏は居城を上高橋城から、ここ下高橋の地に移し、
弘治年間(1555〜1558年)に筑前岩屋城に移すまで、ここを居城としていました。
境内に残る宝篋印塔は高橋様と呼ばれ、
高橋氏ゆかりのものと言われています。(※説明書き参照)

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宝篋印塔
posted by 理乃 at 23:47| Comment(0) | 福岡県三井郡大刀洗町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする