2019年02月19日

大刀洗町の史跡見学E大刀洗平和記念館

今回の史跡見学のラストです。
場所は筑前町になります。

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ここは2016年に「きゅーはく女子考古部 筑前町古墳めぐりの旅」で訪れていました。

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今回は企画展『民ヲ親ニス』が開催中でした。
幕末から明治、大正そして昭和へ。
先見と才能で激動の時代をリードした
杉山家四代(灌園、茂丸、夢野久作、龍丸)の軌跡です。
その基本にあるのが灌園の教え「民ヲ親ニス」
(民を自分の親と思って面倒を見ること)。

■杉山灌園  天保3(1832)年頃〜明治35(1902)年

黒田藩諸藩応接役であった灌園(三郎平誠胤)は、
大政奉還後、藩主・黒田長溥公に意見し、
謹慎後、御役御免となります。
明治11(1878)年から明治23(1890)年までは
夜須郡二村(筑前町)で敬止義塾を開きました。

■杉山茂丸  元治元(1864)年〜昭和10(1935)年

灌園の長男。
伊藤博文、山縣有朋や桂太郎など幅広い人脈を持ち、
明治から昭和初期にかけて政界に大きな影響力を持っていました。

■夢野久作  明治22(1889)年〜昭和11(1936)年

茂丸の長男。
本名杉山直樹(のちに泰道)。杉山農園を経営。
九州日報記者を務めながら小説家として活躍しました。
代表作は三大奇書の一つとされる「ドグラ・マグラ」。

■杉山龍丸  大正8(1919)年〜昭和62(1987)年

戦時中、フィリピンで米軍に「幻の戦闘機隊」と
恐れられた飛行第31戦隊整備隊長。
戦後は全ての私財を投げ打って
インドの飢餓を救うための緑化事業を行いました。
インドの国道約470kmにユーカリを植林。
砂漠緑化事業にも尽力し、
インドでは「グリーンファーザー」と呼ばれています。

わたし的には去年読んだ夢野久作の「梅津只圓翁伝」の
梅津只圓(しえん)関連の資料がうれしかったです。
梅津只圓(1817〜1910)は幕末明治の喜多流シテ方能楽師。
久作は少年時代、梅津只圓に能を習っていて、
その芸に精進する生き方をたいそう尊敬していました。
久作の祖父灌園は久作が大名小学校4年のときに
梅津只圓のもとへやったといいます。
それから17歳まで稽古を続けたのだそうです。
明治25年4月1日2日、太宰府天満宮菅公一千年大祭の際に
梅津只圓は神事能を主催しています。
久作が絶賛するほどの、
百年に一度出るかどうかの類まれな品位の持ち主であったという
梅津只圓の舞をぜひ見たかったと思います。
※大刀洗平和記念館HP参照
posted by 理乃 at 17:32| Comment(0) | 福岡市中央区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大刀洗町の史跡見学D菊池武光銅像

大刀洗公園にある菊池武光像。

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正平14年(1359)8月7日、大保原(小郡市)で小弐頼尚に勝利した菊池武光は、
敗走する敵を追って山隈原まで進出。
武光はさらに小川を渡り(菊池渡り)深く追撃しようとしますが、
死傷者は小弐方が1万8千人、菊池方が6千9百人。

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疲れていたため、軍を山隈原にまとめました。
菊池武光が血まみれの刀を小川で洗うと、
刀は鋸のようにこぼれていて、川の水は真っ赤に染まりました。
このことが大刀洗町の由来です。

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菊池武光像は菊池渡りの地に昭和12年建立されたもの。
馬腹や台石には昭和20年3月の大刀洗飛行場爆撃時の弾痕が残っています。

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※大刀洗町文化財課HP参照
posted by 理乃 at 00:16| Comment(0) | 福岡県三井郡大刀洗町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする