2019年05月23日

脊振山岳信仰の旅

お茶の柔らかい若葉が瑞々しい5月10日。脊振山岳信仰の足跡を訪ねる旅に誘われた。

脊振山は平安時代から鎌倉時代にかけて山岳信仰の聖地だった。
和銅二年(709)湛誉(たんよ)上人が勅命を受け脊振山に誉朗(よろう)寺を創建。
上宮、中宮、下宮が形成され、空海、最澄らも入山し、脊振千坊といわれるほど繁栄したという。

山頂の上宮東門寺はその後、今の背振神社下宮(神埼市)の境内に移った
多聞坊一坊が残っていたが明治に消失、背振神社のみが再建されている。 

中宮霊仙寺(りょうせんじ)は江戸時代の乙(おと)護法堂が残る。

国道385号線から町道坂本峠線に入り、
霊仙寺跡上入り口から森の中の長い階段を降りていく。
水上坊跡の先の開けたところに乙護法堂が姿を現した。
眼下の眺望は素晴らしく、遠く有明海、佐賀平野が見晴らせる。
すぐ下に緑なす樹々に囲まれ、丸くこんもりと刈られた茶園があった。
南宋に渡った栄西(ようさい)は霊仙寺石上(いわかみ)坊に茶種を蒔いた。
よってこの地は日本初茶樹栽培地とされている。
明治維新で無住となった坊だが、
ここまで来ると往時の僧たちの息遣いが感じられる。

下宮の積翠(せきすい)寺は修学院となって今に残る。
突然の来訪にかかわらず、ご住職は温かく迎え入れ、
江戸時代には鍋島藩が霊仙寺十坊を再建した歴史などを語ってくださった。

脊振山岳信仰は周辺の里にも及び、
那珂川市別所の毘沙門堂は東門寺の北を守ったという。

周囲に点々と残る脊振山岳信仰を辿る旅はまだ続きそうだ。
posted by 理乃 at 18:30| Comment(0) | 佐賀県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする