2019年07月31日

善一田(ぜんいちだ)古墳公園

大野城に整備された善一田古墳公園にやっと行ってきました。

20190726_141348 - コピー.jpg

20190726_141337 - コピー.jpg

20190726_141257 - コピー.jpg

この古墳群は乙金山(おとがなやま)の西の丘陵地帯にあります。
なんと30基ほどからなる群集墳(公園に含まれるのは一部)。
時期は古墳時代後期から終末期(6世紀後半〜7世紀)。
古代山城大野城に接しています。
直径10mくらいの小さな古墳がぽこぽこあります。
初期に造られた18号墳は近くの古墳群の中でも最大級(直径約25m)。
内部には高さ3.5mほどの巨大な石室があって、
鉄鉗(かなはし)などの副葬品が出土しました。
葬られた人物は鉄器生産集団を総括したリーダーとも考えられています。
水城や大野城の築城時代、乙金の有力者たちも協力したのでしょうか。
広々とした古墳群は、緑が多く、とても癒やされます。
案内板も、子どもも興味持てるようにとても分かりやすいもの。
秋の墳ピクシーズンにはもってこいの古墳公園。
一番高いところからの眺めもよく、
背振山に落ちていく夕日を眺める場所としてもよさそう。
駐車場もトイレも完備。
おすすめ墳活スポットです。

20190726_141501 - コピー.jpg

20190726_141538 - コピー.jpg


20190726_141749 - コピー.jpg

20190726_141916 - コピー.jpg

20190726_141620 - コピー.jpg

20190726_141926 - コピー.jpg

20190726_142032 - コピー.jpg

20190726_142340 - コピー.jpg

20190726_142120 - コピー.jpg

20190726_142359 - コピー.jpg

20190726_142437 - コピー.jpg

20190726_142505 - コピー.jpg

20190726_142536 - コピー.jpg

20190726_142606 - コピー.jpg

20190726_142838 - コピー.jpg

20190726_142916 - コピー.jpg

20190726_142926 - コピー.jpg

20190726_143158 - コピー.jpg

20190726_143238 - コピー.jpg

20190726_143349 - コピー.jpg

20190726_143407 - コピー.jpg

20190726_143432 - コピー.jpg

20190726_143643 - コピー.jpg

20190726_143704 - コピー.jpg




posted by 理乃 at 15:41| Comment(0) | ★古墳らぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月29日

豊福知徳氏 お別れの会

本日、ANAクラウンプラザホテル福岡で
豊福知徳財団主催の「豊福知徳氏 お別れの会」がありました。

20190729_113307 - コピー.jpg

わたしが招待されたのは1997年にジー・エー・タップが発行した
「遥かなる漂流」という豊福氏の紹介本のライティングをしたからでした。

67781814_2271508276300539_6755471510606970880_n.jpg

「遥かなる漂流」。
遠く異国で彫刻を極め続ける豊福氏の本に、
こうタイトルをつけさせていただきました。
ミラノに2週間滞在した取材はかけがえのない体験となりました。

会場には美術関係者ほか懐かしい面々が・・・。

20190729_123324 - コピー.jpg

ミラノの映像も流れ、ご親戚というピアニストの演奏があったりして、
亡き豊福氏を偲ぶ時間が流れました。

67487223_2271507906300576_4558753355412799488_n.jpg

モニュメント「那の津往還」は制作過程を取材し、
除幕式にも出席しました。

67493144_2271507649633935_2571757096072642560_n.jpg

このとき、わたしはこの場にいました。
ミラノ、スフォルツェスコ場内の市立美術館にあるミケランジェロの未完の遺作。
「ロンダニーニのピエタ」。
この彫刻は最も好きなものの一つとおっしゃっていました。


67302032_2271507786300588_6102861383282458624_n.jpg

久留米の「石声庭」。

67311788_2271508209633879_3110735707438579712_n.jpg

記念品でいただいたスケッチブック。

2019年07月28日

思い出の燐寸箱コレクションEAu Keisuké

西中洲にあったフランス小料理店。
とても美味しかった。

20190727_205154 - コピー.jpg

一時、エリア・ドゥにもパティスリーを出していて、
レアチーズケーキとレーズンウィッチなど絶品だった。
posted by 理乃 at 13:40| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月24日

思い出の燐寸箱コレクション〜CSOUL TRIP

憧れのアンティークショップ。

20190723_194600 - コピー.jpg

胸をときめかせ入った思い出が・・・。

20190723_194631 - コピー.jpg
posted by 理乃 at 11:52| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月23日

思い出の燐寸箱コレクション〜BCOMBO

ロックファンなのでジャズ喫茶はほとんど行ってないけど、
ここは多分一人で行ったんだと思います。

20190722_194326 - コピー.jpg

裏はニューCOMBOとなってます。

20190722_194351 - コピー.jpg
posted by 理乃 at 11:51| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月22日

思い出の燐寸箱コレクション〜A美美(びみ)

かつて勤めていた会社の珈琲は美美さんの珈琲豆を使って、
ネルドリップで淹れていました。
その淹れ方も美美さんから、
のの字を描くようにと教わりました。
濃い珈琲が懐かしい。

67454148_2258586950926005_7684125534007066624_n.jpg

67304655_2258587087592658_6905014308984324096_n - コピー.jpg
posted by 理乃 at 17:31| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

思い出の燐寸箱コレクション〜@貘

自宅の断捨離で古い燐寸箱が出てきました。

67371676_2256615224456511_2435768686200487936_n.jpg

燐寸箱には青春が詰まってました(笑)
わたしたちの青春時代は喫茶店に行くと
必ず燐寸が置いてありました。
今、見てみると、それぞれ趣向を凝らし、
デザインもいいものがあって面白い。
わたしの燐寸箱を少しずつ紹介していきます。
もしかして同じ時代、
同じ喫茶店に行ったことがある方もいるかも・・・。
まずは「貘」から。
香椎店が書かれているので、古いものですね。

67190308_2256615357789831_350848465296687104_n.jpg

67440926_2256615584456475_5474805725723099136_n.jpg

67375433_2256615664456467_8013035362190360576_n.jpg


posted by 理乃 at 17:30| Comment(0) | ★日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月16日

筑紫万葉の故地をたずねてC休暇村志賀島の万葉歌碑

志賀島第5号万葉歌碑は
北の端にある休暇村志賀島の敷地内(駐車場脇)にありました。

20190604_120705 - コピー.jpg

「大船に 小船引きそへ かづくとも 志賀の荒雄に かづきあはめやも」(巻16・3869)

〜大船に小船を加えて海の中を探しても、
志賀の荒雄に会えるだろうか、いや、会えはしない〜

これには志賀島の荒雄の悲しい物語が秘められています。
奈良時代、大宰府が対馬の防人に食料を送る船の船頭となった
宗形部津麻呂(むなかたべの つまろ・宗像郡の民)。
しかし老齢のため志賀の白水郎(あま・漁師)荒雄(あらお)に
かわってもらいました。
ところが途中、暴風雨に遭って荒雄は亡くなります。
その悲しみを山上憶良が詠んだと伝えられています。
志賀島にある万葉歌碑10基のうち3基が
荒雄についての歌です。

20190604_121933 - コピー.jpg

20190604_120558 - コピー.jpg

posted by 理乃 at 00:34| Comment(0) | 福岡市東区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月15日

筑紫万葉の故地をたずねてB志賀海神社の万葉歌碑

志賀島10号万葉歌碑は
国民休暇村向かいの下馬ヶ浜海水浴場にあります。

20190604_114616 - コピー.jpg

「志賀の海人は 藻(め)刈り塩焼き いとまなみ
 髪梳(けづり)の小櫛 取りも見なくに」
(石川少郎 巻3・278)
〜志賀の海人は海藻を刈ったり、
塩を焼いたりして暇がなくて、
櫛箱から髪をすく櫛を手にとって見ることもない〜

石川少郎(しょうろう)は大宰少弐。

毎日の重労働でおしゃれをする暇もない
志賀の海女を想って詠んだ歌。

沖に見えているのが沖津宮。

20190604_114136 - コピー.jpg

中津宮は勝馬小学校の裏にあります。

20190604_115525 - コピー.jpg

平成6年ここで志賀島初の古墳が発見されました。

20190604_115559 - コピー.jpg

長さ2.75m、幅1.65mの竪穴系石室が検出されたということ。
勝馬を拠点とした海人集団の首長の墓であろうと
推定されています。
posted by 理乃 at 17:39| Comment(0) | 福岡市東区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

筑紫万葉の故地をたずねてA志賀海神社の万葉歌碑

志賀海神社は全国の綿津見神社、海神社の総本社。

20190604_110613 - コピー.jpg

古代氏族の阿曇氏ゆかりの中心地にあります。
古くは志賀島の北側の勝馬浜に
表津宮・仲津宮・沖津宮の3宮から成っていましたが、
阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)によって、
表津宮が南に遷座して志賀海神社となったといいます。
仲津宮・沖津宮は現在は摂社。
阿曇磯良は神功皇后の新羅出征で
舵取りを務めたと伝えられています。
古代の九州北部は海人を司る阿曇氏が海上を支配していたそうです。
志賀島と海の中道を含めた一帯がが阿曇氏の本拠地でした。
現在の神主家も阿曇氏の後裔ということ。
阿曇氏は日本全国に進出し、長野県安曇野市、
石川県羽咋郡志賀町、滋賀県安曇川、
愛知県渥美半島といった「しか」や「あずみ」がつく地名は
阿曇氏ゆかりの地と伝えられています。
さて、志賀島には万葉歌碑が10基もあります。
第1号万葉歌碑は志賀海神社の石段を登って、
参道の途中の左手にあります。

20190604_105758 - コピー.jpg

「ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも われは忘れじ
志賀の皇神」(巻7・1230)
〜難所の鐘崎過ぎてしまっても、
私は海の守神、志賀の神様のことを決して忘れない〜

20190604_112447 - コピー.jpg

訪れた日の朝、
厄払いとして蓬と茅を束ねたものが屋根などに揚げられていました。

posted by 理乃 at 16:52| Comment(0) | 福岡市東区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

筑紫万葉の故地をたずねて@香椎潟万葉碑

6月4日にあった古都大宰府保存協会の会員日帰り研修。
令和改元記念ということで、
森弘子先生のご案内で万葉歌碑を訪ねました。
まず最初は香椎宮頓宮の万葉歌碑から。
香椎宮は古代には神社ではなく霊廟として仲哀天皇・神功皇后の神霊を祀り、
香椎廟などといわれていました。
そのため以前の社格は官幣大社でした。
今も勅祭社として10年に一度、
天皇から派遣されたた勅使が奉幣を行います。
香椎宮から西に伸びる参道は勅使道と呼ばれます。

20190604_093327 - コピー.jpg

古くは勅使参向と神幸式の時のみに使用されたといいます。
勅使道は見事な楠の並木道。
これは大正15年(1926年)に楠の苗木が奉献されて整備されました。
勅使道の先には神功皇后ゆかりの地という御島神社があり、
そばに浜鳥居が建てられています。
かつての海岸線は頓宮付近にありましたが今は埋め立てが進んでいます。
頓宮(神幸式の際の神輿の仮宮)は
鹿児島本線の勅使道踏切付近の丘にあります。
この頓宮境内に万葉歌碑があり、
神亀5年(728)の万葉歌3首が三条実美の揮毫で明治21年(1888)に建立されています。

20190604_090440 - コピー.jpg

大宰帥大伴旅人、大宰大弐小野老、豊後守宇努首男人(うぬのおびとおひと)の三人が
香椎宮へ参拝し、
その帰りに香椎潟に駒を止めて歌を詠みました。
※『万葉集』巻6・957〜959。

「いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さえぬれて 朝菜摘みてむ」(大伴旅人)
〜さあみんな、香椎潟で着物の袖まで濡らして朝餉の海藻をつもう〜

「時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈てな」
(小野老)
〜風が吹きそうになった。香椎潟の干潮の浦で、海藻を刈ろう〜 

「往き還り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁も無し」(宇努首男人)
大宰府の生き返りにいつも見ていた香椎潟だが、明日からは見ることもないだろう〜
ラベル:万葉碑 大伴旅人
posted by 理乃 at 14:58| Comment(0) | 福岡市東区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする