2019年07月15日

筑紫万葉の故地をたずねてB志賀海神社の万葉歌碑

志賀島10号万葉歌碑は
国民休暇村向かいの下馬ヶ浜海水浴場にあります。

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「志賀の海人は 藻(め)刈り塩焼き いとまなみ
 髪梳(けづり)の小櫛 取りも見なくに」
(石川少郎 巻3・278)
〜志賀の海人は海藻を刈ったり、
塩を焼いたりして暇がなくて、
櫛箱から髪をすく櫛を手にとって見ることもない〜

石川少郎(しょうろう)は大宰少弐。

毎日の重労働でおしゃれをする暇もない
志賀の海女を想って詠んだ歌。

沖に見えているのが沖津宮。

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中津宮は勝馬小学校の裏にあります。

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平成6年ここで志賀島初の古墳が発見されました。

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長さ2.75m、幅1.65mの竪穴系石室が検出されたということ。
勝馬を拠点とした海人集団の首長の墓であろうと
推定されています。
posted by 理乃 at 17:39| Comment(0) | 福岡市東区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

筑紫万葉の故地をたずねてA志賀海神社の万葉歌碑

志賀海神社は全国の綿津見神社、海神社の総本社。

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古代氏族の阿曇氏ゆかりの中心地にあります。
古くは志賀島の北側の勝馬浜に
表津宮・仲津宮・沖津宮の3宮から成っていましたが、
阿曇磯良(あずみのいそら:阿曇氏祖)によって、
表津宮が南に遷座して志賀海神社となったといいます。
仲津宮・沖津宮は現在は摂社。
阿曇磯良は神功皇后の新羅出征で
舵取りを務めたと伝えられています。
古代の九州北部は海人を司る阿曇氏が海上を支配していたそうです。
志賀島と海の中道を含めた一帯がが阿曇氏の本拠地でした。
現在の神主家も阿曇氏の後裔ということ。
阿曇氏は日本全国に進出し、長野県安曇野市、
石川県羽咋郡志賀町、滋賀県安曇川、
愛知県渥美半島といった「しか」や「あずみ」がつく地名は
阿曇氏ゆかりの地と伝えられています。
さて、志賀島には万葉歌碑が10基もあります。
第1号万葉歌碑は志賀海神社の石段を登って、
参道の途中の左手にあります。

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「ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも われは忘れじ
志賀の皇神」(巻7・1230)
〜難所の鐘崎過ぎてしまっても、
私は海の守神、志賀の神様のことを決して忘れない〜

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訪れた日の朝、
厄払いとして蓬と茅を束ねたものが屋根などに揚げられていました。

posted by 理乃 at 16:52| Comment(0) | 福岡市東区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

筑紫万葉の故地をたずねて@香椎潟万葉碑

6月4日にあった古都大宰府保存協会の会員日帰り研修。
令和改元記念ということで、
森弘子先生のご案内で万葉歌碑を訪ねました。
まず最初は香椎宮頓宮の万葉歌碑から。
香椎宮は古代には神社ではなく霊廟として仲哀天皇・神功皇后の神霊を祀り、
香椎廟などといわれていました。
そのため以前の社格は官幣大社でした。
今も勅祭社として10年に一度、
天皇から派遣されたた勅使が奉幣を行います。
香椎宮から西に伸びる参道は勅使道と呼ばれます。

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古くは勅使参向と神幸式の時のみに使用されたといいます。
勅使道は見事な楠の並木道。
これは大正15年(1926年)に楠の苗木が奉献されて整備されました。
勅使道の先には神功皇后ゆかりの地という御島神社があり、
そばに浜鳥居が建てられています。
かつての海岸線は頓宮付近にありましたが今は埋め立てが進んでいます。
頓宮(神幸式の際の神輿の仮宮)は
鹿児島本線の勅使道踏切付近の丘にあります。
この頓宮境内に万葉歌碑があり、
神亀5年(728)の万葉歌3首が三条実美の揮毫で明治21年(1888)に建立されています。

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大宰帥大伴旅人、大宰大弐小野老、豊後守宇努首男人(うぬのおびとおひと)の三人が
香椎宮へ参拝し、
その帰りに香椎潟に駒を止めて歌を詠みました。
※『万葉集』巻6・957〜959。

「いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さえぬれて 朝菜摘みてむ」(大伴旅人)
〜さあみんな、香椎潟で着物の袖まで濡らして朝餉の海藻をつもう〜

「時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈てな」
(小野老)
〜風が吹きそうになった。香椎潟の干潮の浦で、海藻を刈ろう〜 

「往き還り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁も無し」(宇努首男人)
大宰府の生き返りにいつも見ていた香椎潟だが、明日からは見ることもないだろう〜
ラベル:大伴旅人 万葉碑
posted by 理乃 at 14:58| Comment(0) | 福岡市東区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする