2021年01月30日

宇美町誌

宇美町のことをもっと知りたいという思いもあって、
「宇美町誌」を買ってきました。

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編纂委員長は森弘子先生。
松川博一氏、赤司善彦氏、井形進氏などの執筆陣がいらっしゃいます。
きのこで、きのこちゃん(岩間杏美)、
四王寺山三十三観音で四王寺山勉強会も写真を提供されていました。
宇美町を散策するときの貴重な資料として
活用させていただきたいと思います。
なんとオールカラー、ずっしり重い上下で3000円。
宇美川沿いの宇美町住民福祉センターで購入できます。

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ラベル:宇美町誌
posted by 理乃 at 18:33| Comment(0) | 福岡県糟屋郡宇美町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月25日

御自作天満宮御開扉

今日は年に3度の御自作天満宮の御開扉の日なので、
行ってみました。

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菅原道真公が左遷されて榎社にいたころ、
武蔵寺に参詣され、自ら像を刻んだといわれれているのが
この御自作天満宮のご神体。
天正14(1586)年の岩屋城攻防戦の折、
御自作天満宮とご神体は焼けました。
しかしご神体の首だけは焼け残り、
元禄年間に黒田藩武蔵領主立花増弘が修理をして、
今の場所に新しい社殿を建てて移したといいます。
もともとあった場所は現古民家cafe 華蔵の裏。
今は平地となっていますが、
少し前まで森の天神と呼ばれるこんもりした丘でした。

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御開扉の日は1月、4月、10月の各25日です。
この日は人が境内にいて安心なので、
奥の白瀧神社へも登ってみました。

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明治初めごろから戦後すぐまで湧き水がありました。
posted by 理乃 at 17:05| Comment(0) | 福岡県筑紫野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月03日

2020.11.24ゆふいん・耶馬渓散策D御霊もみじ

この旅に出かけたのは「御霊もみじ」(中津市耶馬溪町)が見たかったからでした。

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かつてこんな急勾配、踏み面の狭さは見たことがない。転げ落ちる人がいると聞き上るのは断念。

黒田官兵衛・長政父子が中津に入部した際、
黒田長政は、鎌倉時代から豊前を治めていた
宇都宮(城井)鎮房(しげふさ)を中津に招き、
心許したと見せかけて酒宴の席で謀殺。
さらに合元寺(赤壁)で鎮房の家臣を殺害しました。
このとき12人の侍女たちは耶馬溪まで落ち延びました。
しかし、追手に追われて命を落としたという伝承があります。
人々は憐れんで神社を建てて御霊を慰めました。
秋は参道両側のもみじが美しく色づき、
幻想的な光景は凄惨な戦国の歴史を癒やすかのようです。

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迂回して来ました。見上げるだけで、誰も上がってきません。

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もみじは最盛期を過ぎていましたが、それでも美しい・・・。

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さらに階段を上ります。

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御霊八幡宮がありました。

*日本遺産 やばけい遊覧 ・福岡県築上郡吉富町HP参照
posted by 理乃 at 12:46| Comment(0) | 大分県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月02日

2020.11.24ゆふいん・耶馬渓散策C競秀峰

競秀峰(中津市本耶馬渓町)、そこは素晴らしい景勝地。

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屏風のような奇岩が約1kmに渡って連なるさまに圧倒されます。
尾根伝いの探勝道は岩窟や鎖場、仏を巡る道。
妙見窟には平安時代の妙見菩薩坐像が安置されています。
かつてここを通らざるを得なかった人々には苦難の道。
転落事故もありました。
そこで立ち上がったのが禅海和尚。
諸国遍歴の旅でここに立ち寄った禅海和尚は、
断崖絶壁の鎖の難所で通行人が命を落とすのに心を痛め、
托鉢で資金を集め石工たちを雇って
ノミと槌だけで30年かけて掘ったといわれています(青の洞門)。
歌川広重の『六十余州名所図会』にも
「豊前 羅漢寺 下道」と題して描かれています。
一時売却の危機にあった競秀峰は
福沢諭吉が景観を守るために
土地を買い取ったことでも知られます。
明治の終わりには車両が通過できるよう拡幅。
完成当初の原型は失われていますが
今も手掘りのノミの跡が見られます。
*ウィキペディア参照
posted by 理乃 at 12:05| Comment(0) | 大分県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする