2008年07月31日

長府・下関紀行 その4 巧山寺

壇具川沿いの道を進み、
両山橋を渡ると巧山寺があります。

ここは長府観光で押さえておきたいスポットです。

総門(禅寺の表門)の左手にあるのが回天義挙碑。
幕末の日本を揺り動かした重要な地です。

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総門をくぐり木立に囲まれた道を上がると
驚くほどすばらしい山門がありました。

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山門をくぐり、正面にあるのが国宝の仏殿。

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なんとここは今6年ぶりに開扉していて、ラッキーでした。
開扉は11月30日(日)までということ。
時間:9時〜16時
仏殿拝観料:一般500円、小・中学生300円
(仏殿・法堂・書院等の総合拝観:一般700円、小・中学生400円)
内部を見たい方は期間中にぜひ。

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鎌倉末期に建立された唐様建築です。
それはそれは素晴らしい組木でした。
天井には石楠花が描かれています。

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ご本尊は千手観音像。
そしてもともと山門に置かれていたという二十八部衆立像(現存しているのは23体)が展示されていました。
それぞれ力強い素晴らしい像です。

仏殿そばの法堂の右手の庫裡では
ぜひ再会したい木造が待っていました。
それは韋駄天立像。

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ポスターを撮影したものからは本物の良さは伝わらないので、
機会あればわたしの愛する本物を見てください…。

この冬、九州国立博物館の「京都五山展」に出品されていた大好きな像です。

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庫裡の入口にさりげなく置かれていた韋駄天立像。
そのりりしい姿にまた出会えました。
風に向かって立つその姿。
前からの風を受けて衣がなびく様子の表現も素晴らしく、
きりっと引き締まった顔つきが秀逸です。
童子姿なのがまたいいのです。

庫裡の右奥の書院は
太宰府に関係があるところです。

ここは七卿潜居の間。

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文久3年京都を追われ長州に落ちのびた三条実美ら七卿のうち
五卿がこの書院に潜居していたのです。
こののち五卿は太宰府へ赴くことになります。

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書院の庭

境内には馬上の高杉晋作像がありました。

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「元治元年(1864)、存亡の危機にあった長州藩。
7月の禁門の変、8月の馬関戦争で惨敗し、
幕府による長州討伐計画が進んでいました。
幕府恭順派が主導権を握る長州藩はこれを恐れ、
三家老切腹、藩主の蟄居謹慎によって幕府に従う姿勢を示しました。
このとき敢然と立ち上がったのが高杉晋作。
五卿を前に、わずか80人を率いて挙兵した晋作は、
『これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す』と告げ、
萩藩新地会所を急襲。
後に続いた者たちとクーデターを成功させ、
長州を再び討幕へと導きました。
この功山寺挙兵をきっかけに、維新が大きく動きます」
    ※下関市観光ホームページから

肺結核のため大政奉還を見ることもなく、
わずか27歳でこの世を去った高杉晋作…。
彼の年を見ても、
幕末には日本を憂う若者たちが大勢いたことを思い出します。

巧山寺は幕末の若者たちの熱気を感じ取れる場所。
幕末ファンも訪れてみたいところではないでしょうか?





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posted by 理乃 at 16:27| Comment(2) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
巧山寺と言えば高杉晋作ですね。幕末愛好家としては嬉しい写真ですね。ありがとうございます。
Posted by がばちょ at 2008年08月02日 07:26
がばちょさん、こんにちは。

わたしが巧山寺の名を知ったのは、
この韋駄天立像を九博で見たときだったのです。
あまりにこの像が気に入って、
長府に行ったら再会しよう!と思ったのです。
暑かったけど、長府はとても楽しめました。
Posted by 理乃 at 2008年08月02日 11:57
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