2008年08月10日

長府・下関紀行 その8 忌宮神社

仲哀天皇と神功皇后が西国平定の折、
豊浦宮を建て、7年間滞在していたという「忌宮神社(いみのみやじんじゃ)」。

ここには奇祭があります。
毎年8月7日から1週間行われる
「数方庭(すほうてい)」という祭り。
境内の鬼石の周りを10数メートルもある竹の幟を抱えて回るのです。

仲哀天皇7年7月7日、
豊浦宮に新羅軍の首領、塵輪(じんりん)が攻めてきたそうです。
このとき仲哀天皇は弓で塵輪を射止めたということ。
皇軍は矛を立て、刀を振りかざして骸の周囲を踊り狂いました。
塵輪の首は土中に埋められ石で覆われたということです。
その石が鬼石と言われています。
その後、神功皇后が三韓出陣・凱旋の際に
鬼石の周りを回って舞伎を行いました。
これが数方庭の起源です。

訪れたとき、
ちょうどこの数方庭のための
大きな竹が準備されていました。

iminomiya1.jpg

iminomiya2.jpg

竹は孟宗竹と真竹の二本を継いで使います。
まず竹の節を削り、藁で磨いて海水で清め、
真竹を孟宗竹が割れるほど押し込み
割れた継ぎ目を白いヨマ紐で丹念に巻いて締めます。

孟宗竹の部分を台、真竹の部分をグルリといいます。
先端には鳥毛を付け、ダシと呼ばれる家紋や社紋を染めたものも付け、
大きな白い幟を取り付けます。
長さは2〜30メートル、重いものは100キロになります。

8月7日から13日の午後7時半頃、
一番太鼓があがり
鬼石に据えられると、
最初は笹飾りの切籠(きりこ)を持った女の子や
鉢巻に御幣を指した男の子が鬼石の周りを回ります。

次は小幟をかざした子どもたちが囃子に合わせて回ります。

長さ30メートル、100キロもある大幟を腰帯に引っ掛けて、
大人たちが登場するとクライマックス!

チャントト・ホイホイ
チャントト・ホイホイ

とおい時代の記憶を残す祭り。
祭りは生きた歴史です。

ところで鬼石の下にはほんとうに塵輪の首があるのでしょうか?
忌宮神社というネガティブなネーミングも気になります。

長府の人々の心を掻き立てる祭りは
今宵も行われることでしょう。
ラベル:数方庭 長府
posted by 理乃 at 15:23| Comment(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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