

(※クリックすると大きくなります)
大川市に行き、風浪宮に立ち寄りました。
地図に大きく記載してあり、
すごいのではないかと思ったのですが、
予想どおり。。。
神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅に出兵し、帰還するとき(192年)、
軍船を筑後葦原の津(大川榎津)に寄せました。
そのとき、皇后の船のあたりに白鷺が現われ、
東北に飛び去りました
皇后はその白鷺は勝運の道を開いた少童命(わだつみのみこと)の化身だとして、
白鷺のあとを追わせ、
白鷺が止まった地を聖地として、
武内宿禰(たけうちのすくね)に命じて仮宮を作らせたということです。
これがご神木の楠。

(※クリックすると大きくなります)
少童命の化身の白鷺が止まったといわれる大楠。
樹齢約2000年。
幹には大人が2,3人入れるくらいの空洞がありますが、
樹勢はますます盛んとのこと。

(※クリックすると大きくなります)
灯篭も立派です。

従来ここにあった石灯篭は平成17年の福岡県西方沖地震で倒壊。
平成20年に完成したこの木造の灯篭は
大工の町、大川にふさわしく、
欄間彫刻、組木建具という大川の技術を結集した
大川の職人さんたちの手によるもの。
地域の技術がこのような形で生かされていることに感動します。

(※クリックすると大きくなります)

本殿は国指定重要文化財。
永禄三年 (1560)、領主蒲池鑑盛入道宗雪の再建によるもの。
本殿の中の像は誰?


(※クリックすると大きくなります)
この説明書きを読んで、
あまりの歴史の古さに驚きました。
これは阿曇磯良丸(あずみいそらまる)。
磯良丸は干珠満珠(かんじゅまんじゅ)を持って神功皇后に従い、
船団の海上指揮をとった航海熟達の海士(あま)。
風浪宮初代神官としてこの地に留まり、
その子孫は代々、宮司として後を継いでいるということ。
現宮司は第67代!
磯良丸に仕えた船頭のうち7人もこの地に残りました。
当時の船名(興賀丸、六郎丸、古賀丸、石橋丸、徳丸)を継いで、
宮乙名と称して恒例の神事に奉仕しているとのこと。
今日船名に「○○丸」と丸を付けるのは
磯良丸の丸に起因するものだそうです。
(※風浪宮HP参考)

境内には五重塔もありました。

(※クリックすると大きくなります)
右にある石人の説明は以下。
