村の観音さまといった感じです。
でも、歴史の達人M氏が連れていってくださったところ、
ちょっと変わってます。
入り口の石門が中国風。

観音さまを納めている石祠(せきし)の周りには
玉垣をめぐらしています。

入り口には金剛力士を左右に配しています。

この金剛力士が顔はごついんだけど、
四頭身くらいでかわいい。

石祠には石造りの観音坐像が祀られています。
享保2年(1717)に造立したのは友田喜平次さん。
寛政元年(1789)に友田中蔵さんが石祠、金剛力士、石門を寄進したということ。
山奥の地にもかかわらず、
こんなに豪華な寄進ができたのは
藩主寺沢志摩守が、「新しく開墾した田畑のうち、
一毛作の場合は税を納めなくてもよい」という掟をつくり、
開墾を奨励したため、
富豪となって繁栄したからだといわれています。
※参考資料 説明書き
で。。。なぜ中国風なのかは不明。。。
次回は。。。
一枚目の写真にヒントが隠されてますよぉ。。。(^_-)-☆+゜
謎解きになってきましたね。
玉垣って、普通神社にありますよね‥‥。
今日は、不思議の巻きですねえ。
神仏混淆ってことでしょうか???