佐用姫はいつ出てくるの?と思われていたかも。。。
ここでやっと登場です。
ところで、佐用姫ってだれ?
佐用姫は(さよひめ)は、現在の唐津市にいたとされる豪族の娘。
次のような伝承があります。
537年、新羅の任那侵入に際して、
任那の要請を受けたヤマトは
大伴狭手彦(さでひこ)などを救援に差し向けます。
大伴狭手彦(さでひこ)は篠原の長者の館に滞在し、
その館の娘で身の回りの世話をしてくれた佐用姫と愛し合います。
狭手彦が出征する日を迎え、二人は離れ離れに。。。
佐用姫は鏡山の頂上から衣の領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていましたが、
別れに耐えられず、
舟を追って呼子まで行き、
加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまいました。
※ウィキペディアより
「篠原村」と呼ばれる佐用姫の生誕地はいくつか言い伝えられています。
「厳木町瀬戸木場(長者原)」説、
七山村史に残っている「七山 藤川 (芝原)」説、
浜玉町史に残っている「浜玉町平原 座主」説の3つが有名。
このたびでは、その中の2つを訪ねました。
1つ目が今回ご紹介する「厳木町瀬戸木場(長者原)」。
車一台分の幅しかない道を、
ここでホントにいいの?と不安になりつつ進みます。
場所が分からなくなって、
親切な土地の方の先導でやっとたどり着きました。
車を止めて、少し歩きます。
ありました。

この碑の後ろに小さな祠がありました。
長者宮と彫ってあります。

恋するあまり、死んだ佐用姫。。。
現代の女性だったら、
どうでしょう???