2011年12月16日

吉塚探訪 その3 吉塚地蔵堂

吉塚探訪、その3は「吉塚地蔵堂」。
ここには吉塚がなぜ吉塚と呼ばれているかの謎が隠されています。

吉塚地蔵1_1.jpg

吉塚地蔵5_1.jpg

お参りのことばは
「をんかかかび さむまえぃ そわか」

ここの絵馬はレトロな手書き。

吉塚地蔵2_1.jpg

以前、この絵を描いている方を取材しようと試みたことがありますが、
成功しませんでした…。

吉塚地蔵3_1.jpg

吉塚地蔵4_1.jpg

さて、では謎解きのほうを…。

時は戦国時代に遡ります。
筑後星野の城主は星野吉実(よしざね)といいました。
吉実は敵将の高橋紹運(じょううん)を太宰府の四王寺山の岩屋城で滅ぼしました。
しかし、天正14年(1586)、
高橋紹運の長男で豊臣勢の立花宗茂(むねしげ)の攻撃で落城。
吉実は自刃し、その首はこの地に埋葬され、
吉実塚とされました。
そのため、後にこの付近は吉塚と呼ばれるようになったのです。
     ※参考:説明書き

とおい戦乱の時代…。
戦って死んでいった武将たち…。
この場所は現代の街のなかで、
そんな戦国の時代と繋がっているのです。
高橋紹運の居城跡を眺める場所に住むわたしには感慨深い場所です。

さて、地蔵堂と同じ敷地には神社もあるのです。

吉塚地蔵6_1.jpg

これは「秋葉(あきは)宮」。
火防(ひぶせ)の神様として全国に散らばる秋葉神社の一つ。
東京の秋葉原も秋葉神社からきています。
吉塚の秋葉宮に祀られているのは…不思議な石です
(信仰の対象なので写真はなし。見に行ってください)。
これが何なのか…???
知りた~い。
謎です…。
posted by 理乃 at 22:25| Comment(0) | 福岡市博多区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: