創祀の年月は不明。
古くからこの地に鎮座して、
忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)というのが正しい名称だそう。
かつては石窟の上にあり、穴稲荷ともいわれていました。
一度廃絶したお社は承応三年(約340年ほど前)に再建されています。
幕末は最後の激戦地(穴稲荷門の戦)ともなりました。
明治六年に再興されたとき花園稲荷と改名されています。

普通はここでお参りしておしまいかもしれません…。
でも、見つけてしまったのです。
穴稲荷と呼ばれていたころの場所を…。
そこは、どうもお穴様と呼ばれているようです。
穴と名のつくところは、こわいです…。
お穴様の左奥にはお社があり、
ここに寛永寺が出来る際、忍岡の狐が住むところがなくなることを憐れんで、
一洞を造って社を祀ったといわれています。
さて、では本殿の右上にある穴稲荷へと参りましょう…。

鳥居の前の狐たちもこわいです。



忍岡といい、石窟といい、
ここは江戸より遥か昔から何かがいたような気配がしてなりません。
狐が住むところがなくなったと憐れんだのに
穴にはフェンスが…。
この穴の向こうは時空を超えた
何か不可解なものが潜んでいるような気がしてならない
妖気漂う場所でした。
こわくて中はのぞけません…。
