2012年12月4日の西日本新聞「世界のまなざし」で紹介した
ニューカレドニアの日系人です。
明治政府の政策で鉱山労働者としてニューカレドニアに日本人が移民しました。
彼の父、ヒグチタケオ氏もその一人。
彼はチェバギというニューカレドニアの北の鉱山で働き、
その後麓のパアアグメンに店を出しました。
他の日本人と同様、第二次世界大戦の勃発と共に強制収容され、
その後強制送還。
ほとんどの日本人はその後ニューカレドニアは戻らなかったのですが、
彼は戻った稀有な例。
息子のモーリスはヌメアで働いていましたが、その後故郷に戻り、
妻が亡くなったあと、ただ一人で暮らしていました。
わたしはニューカレドニアにいたとき、その家を訪ねました。
そもそも家はほとんどないのですが、ほかの家から隔絶した一軒家でした。

ニューカレドニアの木々が生い茂る家。。。
裏はすぐ海でニッケルを運ぶベルトコンベアが海の中に伸びていました。
孤絶。。。本当はそうではないかもしれないけど、
わたしにはそういう言葉が浮かびました。

彼の家には父親が残した雑誌や本がたくさんあって、
わたしの友だちのポールはそれを収集していました。
その中に一冊の日記があって、わたしは今でも気になっています。
それはタケオ氏の友だちでニューカレドニアを仕事で訪れた日本人のものです。
ポールからその日記を借りたわたしは、すべてブログに転記しました。
けれど未だに持ち主の関係者は現れません。
モーリスの家を訪れたあと、
タケオ氏が働いていたチェバギ鉱山に向いました。
かつて山の上に人々は暮らし、働いていました。
けれど今は新しい鉱山が残るのみで、村は廃墟になっています。
年に数回、その村は公開されるのです。
山の上は霧が立ち込め、赤い異世界でした。

そこを鉱山のトラックが行き交います。
眼下に廃墟の村が広がりました。

学校から病院まで何でもありました。
ここで日本人も働いていたのです。

モーリスの死で思い出した北の町。
ただ安らかに眠ってくださいと祈るばかりです。
★一冊の日記の記事
http://rino-newcaledonia.seesaa.net/article/270765711.html
これを書いたのはイワサキノリオという日本人です。
彼はヒグチタケオ氏の友人で、
船かニッケルに関わる仕事でニューカレドニアを訪れ、帰国しています。