2016年03月31日

M氏と行く切支丹遺跡のたび その1 横瀬浦

歴史のエキスパートM氏。
何度か旅のお誘いを受けているんですが、
今回はM氏主催の切支丹関連遺跡の旅に参加しました。
総勢19人。マイクロバスに乗っての旅です。
高速を西に向かいます。
多久を通り武雄JTCから西九州自動車道へ。
ハウステンボスを横切り西海パールラインへ。
西海橋と桜を眺めて西海市の北部へ。
そこに横瀬浦はあります。

初めて聞く地名でした。
でもここは長崎以前の港だったのです。
天文18年(1549)ザビエルは鹿児島でキリスト教布教を許され、
1550年のは平戸でも布教を始めます。
平戸では20日で鹿児島の1年間の布教より多くの信者を獲得。
そのため、神社、寺から領主に圧力がかかり平戸では布教が難しくなります。
そうして選ばれたのが横瀬浦でした。

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現在の横瀬港

永禄5年(1562)、ポルトガルのルイス・アルメルダ(商人・修士・医師)が横瀬浦に来ます。
そして日本初の切支丹大名となった大村純忠が開港します。
日本地区布教責任者のトルレス神父もきます。
こうして横瀬浦は一挙に切支丹の町になります。
そこへやってきたのが、かのルイス・フロイス。

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横瀬浦公園に上がる階段に設置されているフロイス像

フロイスは横瀬浦に半年滞在したといいます。
当時は岡の上に教会が建ち、周辺には繁華街ができ商人が訪れにぎわいました。

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横瀬浦公園。かつて教会が建っていた岡にある資料館。

遊郭もありました。
でも1年余りの栄華ののち、純忠の義弟、後藤貴明との抗争で町は焼きつくされてしまうのです。
その後、ポルトガル船の入港地は福田浦、長崎へと移りました。
かつてあった切支丹の町。たった一年余りで消滅した港町。
それが横瀬浦なのです。
posted by 理乃 at 15:02| Comment(0) | 長崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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