2016年04月20日

『街道をゆくL壱岐・対馬の道』司馬遼太郎

街道をゆく 13 壱岐・対馬の道 (朝日文庫) -
街道をゆく 13 壱岐・対馬の道 (朝日文庫) -

春休みに壱岐の古墳を見に行ったあと、この本を読んでみました。
今まで壱岐対馬と一緒くたにとらえていた二つの島が
まったく対照的な島であることが分かりました。
でも二つの島とも古代世界では大陸と日本との中継点として、
なくてはならない島でした。

そもそも古事記にも登場します。国生みの話の中で。
“・・・次に伊伎島を生みき・・・次に津島を生みき・・・”

『魏志倭人伝』に登場する対馬は次のよう。

“はじめて一海を渡る千余里。対馬国に至る
・・・居る所、絶島。・・・土地は山険しく、森林多く、
道路は禽鹿の径のごとし。千余戸あり。
良田なく、海物を食って自活し、船に乗りて南北にい市てきす”

それに比べて長崎県で二番目に広い平野を持つのが壱岐。

対馬の方は良田がないため、室町時代は倭寇となって朝鮮沿岸の米倉を狙って荒らしました。

壱岐で亡くなった人の中で
雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)という人が印象に残りました。
雪連宅満は天平8(736)年、聖武天皇の命で派遣された遣新羅使の一員でしたが、
辿り着く前に天然痘で亡くなったのでした。
雪連宅満の先祖は壱岐出身の占い師。
雪連宅満は海上で亀の甲を焼いて吉凶を占う卜部として乗船したのです。

この本で興味深かったのは“日本の神道が決して日本列島固有のものではなかった・・・”
というくだり。

“骨ト(こつぼく)をやっていた遊牧民たちが、
草原で羊を追いつつ信仰していたのは、天であった。”
“殷人が夷狄くさいのは、王みずからが天を祭り、
天の意志を知るために王みずからが神主の長となって亀トをおこなった”
“縄文時代、多分に南方的な言語と信仰をもっていた日本列島居住民のなかに
対馬・壱岐を北方から串刺しにしてやってくるのは、
この天の思想である。日本の古神道に天つ神があらわれるのは、
右の要素をのぞいて考えられない”
“天つ神は日本の国土に土着した国つ神とは異なり、
観念性のつよい存在といっていい。
「高天原」を祖地とするこの一群の特異な神々は、
『古事記』『日本書紀』によって
天孫降臨の直系という天皇家の祖神群として独占されているのである。
ところが日本中で対馬だけが異例で、
天つ神たちが土着神として島内にいくらでもーーごろごろと祀られているのは
どういうことであろう”

壱岐までは二度行きました。
でもその先の対馬は未だ未踏の地。
行ってみたい島です。
posted by 理乃 at 14:40| Comment(0) | ★図書室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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