場所は方違神社奥。
反正天皇は仁徳天皇の第三皇子。
別名多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)。
『宋書』・『梁書』に記されている「倭の五王」のうちの
珍(彌)に相当する説が有力視されています。
履中天皇・住吉仲皇子の同母弟で允恭天皇の同母兄。
容姿美麗で歯並びが美しかったとのこと。
仁徳天皇の崩後、叛乱を起こした同母兄の住吉仲皇子を近習を利用して誅殺。
履中天皇崩御ののち即位。
和珥津野媛を皇夫人に、和珥弟媛を妃に立てるも皇族の妻を娶ることはありませんでした。
都は河内丹比。
在位5年の間、天下太平だったといいます。
『古事記』によれば崩御は437年に相当。
古墳は前方後円墳。
一日のうちに5基の古墳を回れたのはタクシーのおかげでした。
※ウィキペディア参照