ここにもボランティアの方々がいらっしゃいました。
堺で生まれた千利休。
屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。
利休は大永2年(1522年)、堺の豪商魚屋(ととや)の長男として生まれました。
茶湯を学み始めたのは17歳のとき。
茶の湯で信長に接近し、
その死後は秀吉の茶頭として仕え天下一の茶匠として権勢を振るいますが、
秀吉の怒りにふれ切腹を命じられます。
井戸の底には椿の炭を沈めていたといいます。
秀吉の怒りを買ったと原因かと言われているのが大徳寺山門の件。
この歴史をボランティアの方が紹介してくれました。
大徳寺三門(金毛閣)改修に当たって
自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、
その下を秀吉に通らせたため秀吉が逆鱗したという説です。
秀吉が見た木造は燃やされてしまったので、この木造は別のものらしいです。
たった一日でしたが古代から近代までの堺を堪能しました。
※堺観光コンベンション協会HP参照