2016年07月17日

「海鳴りの底から」堀田善衛

読むべき本だった。
下調べにと思って読みかかった本。
読み終わってそう思う。

島原の乱は寛永14年10月25日(1637)勃発、
寛永15年2月28日(1638年)に終結した日本の歴史上で最大規模の一揆だった。
飢饉と凶作が続いた上に、
過酷すぎて死ねというに等しい年貢の取立てに耐えかね
立ち上がった島原の領民たち。
キリシタン大名に仕え、禁教令後、
武士から農民に転じて指導的な立場に立っていた
旧有馬氏などの家臣の下に組織化された人々の数は3万7000人。
それに対して幕府連合軍は12万5000人。
3万7000人のほとんどが2月27日と28日に虐殺された。
原城の面積と死者の数の多さを比べれば、
原爆による広島、長崎の死者より犠牲の度合いは高かったと桑原武夫は推定している。

しかし3万7000人という数は革命の規模だ。
飼い慣らされてきた人々が団結して立ち上がった。
こんなことが日本の歴史にあったのだ。
島原の乱というと美少年の天草四郎が主人公のものも多いが、
この本では四郎は脇役で、わずかしか登場しない。
ある種の魅力はあるものの、圧倒するような美少年にもカリスマにも描かれていない。
最もスポットが当たっているのは裏切り者のユダ、46歳の山善右衛門だ。
家族が殺される中、一人生き残って城を出る。
作中、種子島から駆け付けた皆吉長右衛門は言う。
「米をつくり、芋をわが手でつくる百姓たちが、
自分で自分のことを相談してきめていくのが一揆ということなのじゃ。
政道の度を一つにする、百姓のものにする、これが一揆じゃ。
百姓は国の宝、いまはさかしまなのじゃ」
「織田信長も豊臣秀吉も、みな百姓をおのが勝手に使い、
使いよいものを仕立てあげていったのじゃ。」
「百姓は地頭管領や大名の私物でないとじゃ。一人前の、人間なのじゃぞ」。

また作中の四郎は言う。
「一切の衆生に貴賤の別はない。
ここにつどわれた三万七千余人の人々に、役目の上での上下はあり、
下知に従わねばならぬが、ここに人別による貴賤はないものと、
かたく心得てもらいたい」

堀田は物語に挿入されるプロムナードという自らの考えを述べる章でこう言う。
「民主主義とは国民が自己の運命にかかわることを、
自ら考え、決断し、その考え、決断を表現し、
政治家というものはその考え、決断を執行するサーバントとしてある」。
堀田はまた、『キリシタン大名』を著した
ミカエル・スタイシェン師の言葉を引用している。
「自ら大名の『もの』だと思うことに慣れてきた日本の農民にとって、
原の叛徒は日本の歴史上に珍しい大胆と勇気を示した。
恐らく彼らの同胞は、他日人民の権利の最初の擁護者としてこれを重く見るであろう」

堀田善衛は宮崎駿の最も尊敬する作家だという。
わたしは未だ行かざる原城へ行った際は、
人間として当たり前のことを請求し、
虐殺されていった3万7000人の人々の漂う阿鼻叫喚の声にいたたまれないことだろうと思う。

民主主義とは何ぞや。
今、この時代にまた読まれなければならない書だと思う。

海鳴りの底から〈上〉 (朝日文芸文庫) -
海鳴りの底から〈上〉 (朝日文芸文庫) -

海鳴りの底から〈下〉 (朝日文芸文庫) -
海鳴りの底から〈下〉 (朝日文芸文庫) -
posted by 理乃 at 00:15| Comment(0) | ★図書室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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