2016年09月07日

2016.8.25大浜流灌頂の夜F義綱甲賀山立て籠もり

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天仁2年(1109)、河内源氏の棟梁の源義忠が暗殺され、
源義綱と弟義明がその暗殺犯とされました。
義綱は息子たちと共に甲賀山(鹿深山)へ立て籠もりました。
そこへ棟梁を継いだ義忠の甥の源為義が
白河院からの追討命令を受けて攻めてきます。
義綱の弟で真犯人の義光が為義の後押しをし
甲賀山を攻撃すると義綱方は敗退。
義綱は降伏しようと言い出します。
しかし、息子たちは納得できません。
嫡男義弘は父に切腹するように言い寄りますが、
父が従わないため義弘は父に範を示そうと
木から谷底に飛び降りました。
この後、次男義俊も投身自殺。
四男義仲は焼身自殺。
五男義範は切腹。
六男は義公は自害。
ただ一人残った義綱は大岡寺で出家し為義に投降。
三男義明も自害。
義綱は佐渡に流さます。
20年以上たった天承2年(1132)、
配流先の佐渡で再び為義の追討を受け自害。
その後、義忠殺害は冤罪であったことが判明しました。
※ウィキペディア参照
この絵では谷底に飛び降りる義弘が描かれています。
大浜流灌頂の夕闇も迫り、明かりが灯されています。
posted by 理乃 at 20:08| Comment(0) | 福岡市博多区 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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