一つはご存知佐藤栄作景徳碑。
佐藤栄作は元二日市駅長だったからですね。
(1926年(大正15年)11月〜1927年4月まで、
鉄道省門司鉄道局に勤務していたときに着任。)
その横にあるのがこの谷彦一翁頌徳碑です。
谷彦一氏という方はこのあたりの素封家で村長だった方で
JR二日市駅の土地も寄付したそうです。
明治22年12月11日、
九州鉄道株式会社(民営)の博多〜千歳川(ちとせがわ)(久留米)間が開業。
ルートは当初、博多から太宰府を通り、
阿志岐、夜須、小郡を経て久留米ということでした。
でも汽車に乗って日帰りされたら、天満宮参道の旅館がつぶれる、
梅が煤煙で枯れるなどの反対で太宰府への致案は消滅。
これに対して二日市の谷氏などの有志は二日市駅の開設に努力したのです。
谷氏は線路敷設の用地買収にも協力したということ。
さらに谷氏は渡辺與八郎と協力して二日市温泉開発も進めました。
1898(明治31)年に温泉宿「武蔵屋」を開業。
公衆浴場の「川湯」や「御前湯」、「薬師湯」を整備。
薬師湯は、射的場・玉突き場などの娯楽施設もあった
温泉センタ的施設だったとのことです。
※参考:ちくしの散歩/にしてつWebミュージアム/ウィキペディア