2017年09月03日

山家宿:原采蘋塾跡

母の介護で「風の民」に行ったとき、
長崎街道の山家宿まで足を延ばしました。
「風の民」も長崎街道に面してます。
構口、恵比寿石碑、大庄屋役宅跡など見ましたが、
原采蘋(さいひん)塾跡を見られたことはよかったです。


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搆口

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搆口

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恵比寿石碑

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大庄屋役宅跡

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原采蘋塾跡

原采蘋は男装の詩人!
寛政10年(1798)、秋月藩の藩学稽古館の教授であった原古処の長女として誕生。
兄弟がいましたが、病弱だったため古処は才気煥発な采蘋に期待して教育しました。
古処は采蘋が28歳のとき
『不許無名入故城』(名をあげないうちは帰郷を許さない)という漢詩を贈ります。
采蘋は女の身では旅が困難なため、男装帯刀で旅に出ました。
嘉永元年(1848)、51歳の時に、病気の母のために帰郷。
のち母と筑前山家に移り住んで私塾を開きました。
母の没後は再び、肥前・肥後・薩摩へ旅立ちました。
安政6年、采蘋は異郷の地で漢詩一筋の61年の生涯を閉じたということです。
たとえ江戸時代であっても
教育があれば女子でも詩人として身を起こせたのですね。
※ちくしの散歩参照

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posted by 理乃 at 14:21| Comment(0) | 福岡県筑紫野市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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