本星野に館居を構えて以来、
十八代にわたって生葉郡(現在のうきは市と八女市星野村)に勢力を持ち続けました。
南北朝時代には懐良親王を支えました。
天正14年(1586)、
薩摩方についた星野鎭胤(吉実)と鎭元(吉兼)兄弟が高鳥居城(現糟屋郡)で討死したことから、
一族は離散したとのこと。
二人の首が葬られたところが吉塚地蔵(博多区)です。
明治22年、星野氏末裔の人達によって、
本星野の星野氏館周辺に散在していた墓塔類が集められ、
「星野氏累代の墓」碑が建立されいます。
※八女市HP参照
※八女市HP参照