ついに今回の旅で行けました。
ここはただものではない伊都国に
惹きつけられる出土品を見ることができます。
平原遺跡は弥生時代後期から終末期の5基の周溝墓群を合わせた名称。
その 1号墓の「王墓」は「女王墓」ではないかといわれています。
中でも王墓から出土した40面の一つ、
大型内行花文鏡(ないこうかもんきょう/直径46.5センチメートル、重さ8キロ/国宝)は国内最大の鏡!
これを見ずしてどうしよう?です。
レプリカ
平原王墓の発見当時の状況を原寸大で復元した模型もあります。
「魏志倭人伝」に登場する伊都国とはいかなる国だったのか?
「魏志倭人伝」にはこう記載されています。
「末廬國から)東南へ陸を500里行くと伊都國に到る。
そこの長官を爾支(にし、じき)といい、
副官は泄謨觚(せつもこ、せつぼこ)・柄渠觚(ひょうごこ、へいきょこ)という。
1000余戸の家がある。
世々(丗)に王があるも、みな女王國に統べて属する。
帯方郡(たいほうぐん)の使者が往来して、
ここに常にとどまる場所である」
『魏志倭人伝』の中で王がいたと書かれているのは
伊都国、邪馬台国、狗奴国で、
他の国々には長官、副官などの役人名しか書かれていません。
平原王墓以前の王墓である三雲南小路(みくもみなみしょうじ)遺跡の甕棺なども展示。
古代ファン必見の歴史資料館です。