北の端にある休暇村志賀島の敷地内(駐車場脇)にありました。

「大船に 小船引きそへ かづくとも 志賀の荒雄に かづきあはめやも」(巻16・3869)
〜大船に小船を加えて海の中を探しても、
志賀の荒雄に会えるだろうか、いや、会えはしない〜
これには志賀島の荒雄の悲しい物語が秘められています。
奈良時代、大宰府が対馬の防人に食料を送る船の船頭となった
宗形部津麻呂(むなかたべの つまろ・宗像郡の民)。
しかし老齢のため志賀の白水郎(あま・漁師)荒雄(あらお)に
かわってもらいました。
ところが途中、暴風雨に遭って荒雄は亡くなります。
その悲しみを山上憶良が詠んだと伝えられています。
志賀島にある万葉歌碑10基のうち3基が
荒雄についての歌です。

