聖一国師と共に謝國明の船で、南宋(中国)へ向かいました。
6年間、宋に滞在した満田彌三右衛門は織物などの製法を修得して帰国。
彌三右衛門はこの織物技法を家伝とし代々伝えていきました。
さらに約250年後、
彌三右衛門の子孫、満田彦三郎が中国・広東へ渡り、
織物の技法を研究し、
その技法を竹若藤兵衛と共に改良工夫して、
博多織が生まれたということです。
博多織は江戸時代は幕府への献上品でした。
独鈷と華皿の図案は聖一国師のアイデアと言われています。
聖一国師は仏道だけでなく、衣食でも重要な役割を果たしたのですね。

*「博多の魅力」「筑前織物株式会社」HP参照