
かつてこんな急勾配、踏み面の狭さは見たことがない。転げ落ちる人がいると聞き上るのは断念。
黒田官兵衛・長政父子が中津に入部した際、
黒田長政は、鎌倉時代から豊前を治めていた
宇都宮(城井)鎮房(しげふさ)を中津に招き、
心許したと見せかけて酒宴の席で謀殺。
さらに合元寺(赤壁)で鎮房の家臣を殺害しました。
このとき12人の侍女たちは耶馬溪まで落ち延びました。
しかし、追手に追われて命を落としたという伝承があります。
人々は憐れんで神社を建てて御霊を慰めました。
秋は参道両側のもみじが美しく色づき、
幻想的な光景は凄惨な戦国の歴史を癒やすかのようです。

迂回して来ました。見上げるだけで、誰も上がってきません。

もみじは最盛期を過ぎていましたが、それでも美しい・・・。

さらに階段を上ります。

御霊八幡宮がありました。
*日本遺産 やばけい遊覧 ・福岡県築上郡吉富町HP参照