2008年05月12日

裂田の溝 その3

裂田神社から、さらに上の方へ
裂田の溝の散策を続けます。

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左手のこんもりした森が裂田神社
ここから手前の方に進んでいきます

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右手に粘土質の地層が現れています。
これはなんと9万年前に阿蘇が噴火した際の火砕流の
軽石質火山灰露出層なのだそうです。

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案内役の小父さんは
ところどころに開いている穴は
カワセミの巣なのだと言います。
溝の柵にとまっていることもあるのだとか。
この日は残念ならがカワセミと会うことはできませんでしたが…。

小父さんは蛍がよく出る場所も教えてくれました。

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この左手の散策路は、
おそらく整備以前はなかったものだと思われます。
この散策路のおかげで、じっくりと溝を味わいながら
歩くことができます。

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裂田の溝の横はただの山だと思っていたら、
溶岩台地だそうです。
そして実はこここそ、
日本書紀に登場する迹驚岡(とどろきのおか)=安徳台だということなのです!

迹驚岡(とどろきのおか)は古代のすごい遺跡。

ここでは弥生時代の巨大な住居跡が多数見つかっていて、
奴国の集落として注目されています。
さらに7世紀後半の建物遺構も出土しています。
柱穴の一辺が1メートルを超える建物跡4棟と柵列。
郡衙以上の建物群です。
瓦は7世紀後半にさかのぼる可能性もあるということ。

『日本書紀』には7世紀後半に博多湾近辺で建てられた大型建物群、
磐瀬行宮(いわせのかりみや)が出てきます。
磐瀬行宮は661年(斉明7年)、斉明天皇が筑紫に下った際に構えた宮。
この磐瀬行宮という可能性もあるらしいのです。
神宮皇后のモデルともされる女帝、斉明天皇。
この人物にも興味がつきません。
あの中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)の母ですし、
太宰府市に今も残る観世音寺は
天智天皇が母・斉明天皇の菩提を弔うために発願したお寺です。
それに工事好きだったのだとか。

小父さんは迹驚岡に入っていく道も教えてくれました。
でも、この日は断念。
ゆえに迹驚岡はわたしにとってまだ未踏の地。
次の機会には訪れてみたいものだと思っています。

★迹驚岡=安徳台へのアクセス
王塚台南口交差点から役場方面に向かい、
消防倉庫を左折、
安徳館左の道を直進する。


(裂田の溝 了)




posted by 理乃 at 12:00| Comment(6) | 福岡県筑紫郡那珂川町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これは素晴らしいですね。ここでカワセミも見ましたよ。神秘的な感じがしていいですね。この近くに来たら見に行きます。
Posted by がばちょ at 2008年05月13日 06:46
カワセミ、見られたんですね!
わたしもいつか出会えますように…。
Posted by エルザ at 2008年05月13日 09:20
歴史ある名所やったとですね。びっくりしたばい。
Posted by むっちゃん at 2009年11月07日 21:02
むっちゃん、こんばんは。

でしょう?
古代史はロマンがあって大好きです。
そして那珂川町も太宰府も古代の歴史の舞台です。
お互い、そんなところに暮らしているのですよねぇ!
うちの庭には古代の瓦も転がってますよ〜。
Posted by 理乃 at 2009年11月07日 21:22
今日、行ってみたけど分からんかった。役場で行き方聞いてみるばい。
安徳館のとこの道って変な4差路になっとって斜め左に進んでいったら上り坂のとこに耕作者以外立ち入り禁止の立て看板があって、無視して進んでいったら丘の上はミカン畑やった(笑)。
Posted by むっちゃん at 2009年11月15日 20:09
>むっちゃん

行ったんだぁ。
確かに道が分かりにくいですね。
そういうときはわたしはいつも土地の人に聞いてます。
この四差路を人間にたとえると、
左足の方向かしら?
やっぱりここは難関だ…。
さて、どっちが先に到達するか…(*^-^)b
Posted by 理乃 at 2009年11月16日 01:12
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