2019年03月10日

平安時代の文学読書memo:「土佐日記」

土佐日記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
土佐日記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

漫画「応天の門」から続く平安時代への関心から「土佐日記」を読んでみました。
日本文学史上、初めての日記文学。
934年頃の作品。
紀貫之が任地の土佐から京へ帰るまでの船旅を
かな書きするために女性に成り代わって記したもの。
57首の和歌が含まれています。
その後の『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、紫式部日記』、『更級日記』などの女流文学に大きな影響を与えました。
紀貫之は延長8年(930年)から承平4年(934年)にかけて土佐国に国司として赴任していました。
任期を終えて京へ帰る船旅は時には海賊に怯え、
沿岸に張り付くように恐る恐る行くと行ったもので
55日を要しています。
日記は一日たりとも欠いていません。
別れを惜しみ見送る人々、
土佐国で亡くした娘への思い、
帰京をはやる気持ち、
船の中での人間観察などが描かれています。
このころ紀貫之は60歳半ばだったようです。
なんとか戻ってきた京の自宅はすっかり荒れていて、
娘は一緒に帰ることもできなくて、
書きつくすことはできないと結んでいます。
当時の人の心情の吐露が見られる日記文学、
ほかも読みたくなってきました。
紀貫之と道真公のお友だち、紀長谷雄はどうも近い親戚ではなかったようですね。
ラベル:土佐日記 紀貫之
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2018年09月01日

森鴎外 「舞姫」

現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)
現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)

太宰府を訪れた明治の文豪ということで
森鴎外の「舞姫」を読みました。
漢文調でわたしには読みづらい鴎外の文章なので、
井上靖の現代語訳で読むことに。
主人公の太田豊太郎には鴎外自身が色濃く投影されています。
父母の教えに忠実に勉強し、
あまりに優秀で神童と呼ばれた豊太郎。
官となってからも役所に忠実に生きてきました。
ところが官費で留学した自由都市ベルリンで自我が開放されていきます。
そんな時、貧民窟に住む清らかな少女、エリスが泣いているのに出くわします。
仕立て屋の父が亡くなり、どうやら身売りをしなくてはならないよう。
お金を用立てた豊太郎とエリスは次第に接近します。
そんな豊太郎を仲間たちはそしり、留学費は取り消され、
自力で生活しなければならなくなり、
新聞社の通信員となりエリスの家に同居することになります。
通信員として暮らしていたある日、
別の仲間から官の仕事に誘われ、ロシアで通訳として目覚ましい働きをします。
帰国を勧められ承諾した豊太郎ですが、
すでに妊娠していたエリスに告白もできず、
熱を出して倒れます。
一心に看病するエリスに友人が帰国の旨を告げると
エリスは発狂するのです。
だがエリスの家にお金を置いて去っていく豊太郎なのでした。
愛によってエリートコースから離れて生きていくはずだった豊太郎、しかし結局エリートコースに戻っていくのです。
ここまでは小説のお話。
現実のエリスは鴎外を追って日本へやってきます。
でも1ヶ月ほどの滞在ののち、周囲の説得に折れ、帰国します。
鴎外はその後勧められた女性と結婚。すぐに離婚。
長年独身でしたが、その後再婚した女性は写真だけを見て結婚を決めました。
豊太郎の置かれた立場によって成就しなかった純愛。
自らの恋愛を貫くほど明治は自由ではありませんでした。
エリスにしたら、なんてひどい男なのでしょう。
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2018年08月28日

「君の膵臓をたべたい」

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)
君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

「キミスイ」と呼ばれ圧倒的な人気を得た青春小説「君の膵臓をたべたい」。
映画は主人公が教師となって昔を思い出すというダブルキャストとなっているけど、小説は主人公の高校生時代で終始しています。
主人公は病院で「共病文庫」というタイトルの日記を拾います。それは不治の病に冒されたクラスメイト、桜良のものでした。そこから二人は接近していきます。でも主人公は人とのコミュニケーションが取れない、取らない、引きこもりではないけど、学校に来てもクラスメイトから孤立しているという人物。
明るく人をひきつける桜良と主人公は正反対の性格。けれど二人は次第に心を通わせていき、桜良の思いがけない死が主人公を変えていきます。
鬱屈した青春から変わっていく爽やかな成長物語。
映画に太宰府が登場したのですが、小説では違う場所かもと確認のために読んだのですが、小説では二回も登場します。一度目は桜良と二度目はそれを振り返る旅を桜良の親友と。
太宰府天満宮、参道、梅ケ枝餅、手水舎、御神牛、太鼓橋、御神籤、宝物殿、菖蒲池が出てきます。梅ケ枝餅はその場のぱりぱりと、時間が経ってビニールに包んだものの二種食べます。(これはすごい。住野よるは梅ケ枝餅ファンですね)
「僕らは、自分だけじゃ足りなかったんだ。だからお互いを補うために生きてきた。」
ここに納得し、号泣する人は多いんだろうな。
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2018年08月04日

「天平の女帝 孝謙称徳―皇王の遺し文―」玉岡かおる著

天平の女帝 孝謙称徳: 皇王の遺し文 (新潮文庫)
天平の女帝 孝謙称徳: 皇王の遺し文 (新潮文庫)

孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の娘。
二度も皇位についた。
一度目が孝謙天皇で二度目が称徳天皇。
孝謙称徳天皇というと、
これまで男性作家のものでしか読んだことがなかった。
女性作家だと、
一人の人間として政治をやり遂げようと苦心惨憺する姿が描かれる。
男女差別をせず、
能力のある者がふさわしい職につくべきと言ったとされる。
玄ムや藤原仲麻呂や道鏡とねんごろだったというイメージは
あとになって歴史が塗り替えられたということになっている。
「女に天皇は務まらない」と言われつつも、
平和な世を築こうとした。
唐に憧れ遣唐使を派遣し、藤原仲麻呂の内乱を鎮め、
吉備真備や道鏡をそばに置き、隼人の子どもを育て玉座を譲ろうとした。
宮廷に仕えた隼人を初めて物語で読んだ。
隼人は天皇の行く道の前に立って、
魔を祓うために吠声(はいせい)を発した。そんな習慣は初めて聞いた。
藤原氏によって歴史を改竄されたであろう女帝の真の姿を、
そばで仕えた和気広虫たち女官たちが亡きあとに振り返るという設定で描かれる。
孝謙天皇は、鑑真が来日した折、聖武天皇と共に受戒をを受けている。
女官の由利は吉備真備の娘だ。
女性の視点から、
宮廷という女性が意思を持って生きるには難しい世界を描いた歴史小説。
現代も女性排除は何も変わってない。
これからもっとフェミニズムの意識のある作家の歴史小説が
読みたいと思わせてくれた一冊。

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2018年07月19日

「守教」帚木蓬生

守教 上
守教 上

守教 下
守教 下

先日読み終えた本。
今村教会堂は行ったことがあり、あの地域に潜伏キリシタンがいたのは知っていましたが、
秋月にもいたとは初めて知りました。
長崎や島原の潜伏キリシタンは有名ですが、
筑後にもいたことはあまり知られていないのではないでしょうか。
大友宗麟から「小さくても、デウス イエズスの王国を築いてくれ」と命じられ、
武士から大庄屋になった右馬助がキリシタンの村を築いていきます。
農民たちはキリスト教を受け入れ、信仰を静かに守りました。
貧しき者を救い、妾を持ってはけないというのは
女性たちにも魅力的な教えだったでしょう。
禁教令の中でも潜伏して教えを守り通した村人たち。
各地を飛び回る神父たち。
中でもエルサレムまで行ったペドロ岐部の存在には驚きを隠せませんでした。
天正少年使節もこの地を通っています。
知られざる潜伏キリシタンの歴史が丁寧に誠実に描かれた本です。
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2017年06月08日

『村上海賊の娘』  和田竜

以前から読みたかった本をやっと読めた。
瀬戸内海って海が広がってるんだろうとばかり思い込んでいたけど、
多くの島々があって、船はその間を蛇行して進んでいたと再認識。
戦国時代、その海を支配していた海賊の根城とはどんなものか、
まったく想像できなかったけど、この小説はそれを目の前に現出してくれた。
三家に分かれた村上一族の一つ、
能島村上の当主、村上武吉の娘、景(きょう)が主人公。
能島のあまりの小ささに驚いた。
世は信長の時代。
大坂本願寺を攻める信長と本願寺を救おうとする毛利家。
毛利方についた村上水軍は籠城し兵糧尽きた本願寺側に物資を運ぼうとする。
織田方には泉州の海賊、眞鍋家。
本願寺を守るのは雑賀党。
そして木津川合戦の火蓋が切って落とされる。
恐ろしいばかりの船上の斬り合い、
炸裂する村上海賊の焙烙玉。
安宅(あたけ)や関船(せきぶね)、小早(こはや)といった軍船が
入り乱れる合戦の描写はすさまじい。
ユニークなのは史実に沿って描きながら、
主人公を景という女性にしたこと。
父に溺愛され、男兄弟と同じように育ったと設定された景は、
瀬戸内では醜女と言われた。
大きな目と高い鼻を持つ彫りの深い顔立ちと引き締まった肉体は
泉州人には美女と映った。
男勝りの性格で、うじうじしているのは大嫌い。
けれど結婚願望はあり、海賊に嫁ぎたいというのが夢。
その夢も戦いに身を投じざるを得ない自らの資質により諦める。
戦いに出向く夫の帰りをただ待っているのではない、
行動する主人公に読者は魅せられるのだろうか。
戦国の世の人を人と思わぬ恐るべき殺し合いには辟易とする。
けれど読後は乱世を思うままに疾走した海賊たちの姿に爽快感を覚える。
そして思うままに生きた景という悍婦にも。

村上海賊の娘(一)(新潮文庫) -
村上海賊の娘(一)(新潮文庫) -
村上海賊の娘(二)(新潮文庫) -
村上海賊の娘(二)(新潮文庫) -

村上海賊の娘(三) (新潮文庫) -
村上海賊の娘(三) (新潮文庫) -

村上海賊の娘(四)(新潮文庫) -
村上海賊の娘(四)(新潮文庫) -


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2017年05月13日

諸星大二郎 『巨人譚』

久しぶりに諸星大二郎の漫画を読みました。
第一部は西洋、北アフリカの古代物、第二部は中国物。
第一部の『ギルガメシュの物語』は紀元前3000年の古代メソポタミア、
シュメールの伝説的な王ギルガメシュが不死を求めて旅に出るも、
結局得られず戻るという話。
『ミノスの牡牛』はクレタ島のミノタウロスの話。
胸を露わにした服を来たクレタ島の女たち。
まるで闘牛士のように牛の上を命をかけて飛び越える娘たち。
近くの島の噴火で壊滅したクレタの町。
『砂の巨人』ではサハラが乾燥化し出したころに現れた
馬と馬車に乗る人々が出てきます。
それ以前の人々は牛を飼って生きていました。
ラクダが登場する前の話です。
諸星大二郎の手になると、
世界のどこの物語でも一様の暗さと不可思議さを感じさせるものになります。
古代世界への扉をぱっくりと開けてくれる漫画です。
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2017年05月02日

『アメリカ・エスニック紀行』三木健

この本はニューカレドニアで三木さんからいただいたものだった。
1990年に三木さんはアメリカ国務書省の
「インターナショナル・ビジター・プログラム」の招きでアメリカ縦断旅行をした。
その旅の記録だ。

三木さんの旅の目的は多民族社会を考えるというもの。
沖縄人である三木さんは日本の多民族国家観に疑問を持ち、
沖縄に多民族社会のモデルを築けないかと思い、
参考となるアメリカを旅した。
「インターナショナル・ビジター・プログラム」をサポートしてくれるのは
民間のボランティアの方々。
そこにアメリカの精神文化を感じている。

ワシントンDCから始まり、ニューヨーク、フロリダ、
ミシシッピ、ロッキー、シアトル、サンフランシスコ、ハワイと、
三木さんと旅ができる。
三木さんが必要とするもの、
見たいものを見せてくれるこのプログラムは、
なんとすばらしいものだろう。
そこで沖縄移民や先住民族、カウボーイたちと触れ合い、
国連本部、ローカル新聞社などを訪ねる。

わたしが一番感動したのは前に読んだ『沖縄ひと紀行』で紹介されていた
三味線奏者山入端つるさんのお兄さんの山入端萬栄さんの娘のマリアさん
と孫のエリザベスさんに再会するくだり。

沖縄本島屋部村の山入端萬栄さんは1907年にメキシコに炭坑移民として移住した。
弟たちは大阪などへ出稼ぎに出、妹たちは遊郭に身売りされた。
メキシコに渡った萬栄さんはメキシコ革命に巻き込まれ、
革命軍に銃殺されかけたところをなんとか助かりキューバに亡命。
そこでドイツ大使館の運転手となり職員のドイツ人女性と結婚。
そしてマリアさんが生まれる。
マリアさんはキューバ人と結婚。
やがてキューバでも革命が起き、萬栄さんはそのころ死去。
マリアさんは二人の娘と革命の嵐を逃れドイツへ、
そしてスペインへ渡る。その後マイアミに移住した。

この山入端一族の物語『眉屋私記』は上野英信が書いている。
三木さんはこの本の解題を執筆している。
マリアさんと娘は父萬栄の生地を訪れ、
そこで三木さんと会った。
なんという物語だろう。
萬栄さんのお墓はキューバと沖縄にあるという。
マリアさんのお母さんの墓は海に散骨したのでない。
それはお母さんの意志によるものだったという。
萬栄さんのお墓がキューバと沖縄にあるから、
海に散骨すれば海によって結ばれるからと言ったという。
なんていう深い愛・・・。

本に掲載された1990年の三木さんは今より恰幅がいい。
そしてこの旅は実に精力的なものだ。

実は三木さんから、もうすぐ新しい本が届く予定になっている。
今度の本はわたしにも多少かかわりのあるものだ。
今はそれを心待ちにしている。

アメリカ・エスニック紀行―沖縄記者の大陸感情ルポ1990 -
アメリカ・エスニック紀行―沖縄記者の大陸感情ルポ1990 -
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2017年04月30日

『遠野物語』 柳田国男

この本も読むべきリストに入っているのに、
これまで読む機会がなかった本。
明治43年に出された本の口語訳ではあるが、やっと読めた。
訳は遠野で小学校の校長などを務めてこられた佐藤誠輔(せいゆう)さん。
遠野の佐々木喜善(きぜん)が語る105の小さな物語で構成されている。

物語の中から遠野の地で生きてきた人々の暮らしが立ち上がってくる。
旧家にはオクナイサマを祀っている。それは家を守る家神。
同じくオシラサマという二体の神様もいる。
一体は馬頭で一体は女の神。単純な姿なのにどこか恐ろしい。
異質な人々も登場する。
天狗は山伏ではないか。
白子は漂流してきた西洋人ではないか。
開国前に三陸海岸に流れついて住んでいたらしい。
山に住む人々も多く出てくる。
山人とは縄文人の末裔であるのではと考える柳田。
金を採る金山師。
木地師は木の茶碗などを作る人々。
狼も群れをなして出てくる。
狼は明治38年ごろまで本州に棲息していたという。
里の娘たちはときどき山に住む人々によって攫われる。
冬の満月の夜には雪女が現れる。
大勢の雪童子(わらし)を連れて。
触るものをみんな白い雪の塊に変えてしまう雪女。
60歳を超えると山に捨てられる姥捨ての習わし。
厳しい自然と向き合ってきた遠野の人々の暮らし。
一歩山に入ると、そこには農作業に勤しむ人々とは違う人々が暮らしていて、
その姿に恐れをなす。
今では失われたものが多く見られるこの本は、
自然や異質な人々への畏怖にあふれ、とても魅力的だ。

口語訳 遠野物語 (河出文庫) -
口語訳 遠野物語 (河出文庫) -
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2017年04月27日

『クアトロ・ラガッツィ』若桑みどり

こんな素晴らしい労作は久しぶりに読んだ。
クアトロ・ラガッツィ。イタリア語で4人の少年という意味。
その4人の少年とは天正時代少年使節として大海を越え、
ローマ教皇に謁見して帰国した天正少年使節のことだ。
この本は少年たちの旅の行程よりも、その時代背景に多くを割かれている。
彼らはようやく上巻の終わりになって船出するのだから。
信長、秀吉、家康の戦国時代におけるキリスト教布教の歴史。
その丹念な調査に脱帽する。しかも女性の観点からだ。
この本のテーマは
「人類は異なった文化のあいだの平和共存の叡智を見出すことができるのだろうか。
それとも争い続けるのだろうか?」だ。。

興味深いエピソードが次々に展開する。

1549年。ザビエルが鹿児島に着いて三年後、
一攫千金を夢見る27歳のポルトガル人、アルメイダが長崎に上陸。
ところが日本で全財産を投げ打ち貧者を救済して天草で亡くなった。
彼は日本最初の病院の設立者。間引きの習慣を見て孤児院も作った。
昨年の今頃、長崎の横瀬へ行ったとき、土地の方々はアルメイダのことを語った。
日本人の多くが知らなくても、彼が赴いた先では忘れられていない。
彼は愛されていたのだ。

当時の人々は貧しかった。だからキリスト教伝道後、
九州の全人口の30%もが信者になった。宣教師たちが貧民救済を行ったからだ。
仏教には貧乏や病気は前世の悪行の結果だという考え方があったが、
キリスト教は本人に罪はないと言った。
最澄も空海も女人禁制の聖地を作った。
すべての人が救われるのが宗教のあるべき姿ではないのだろうか?
キリスト教もイブの存在は女性蔑視だ。

神の国を築こうと日向に侵攻した大友宗麟。彼の夢は耳川の敗戦で散った。

少年たちの渡欧を提案したのは開明的な宣教師ヴァリリャーノという人だった。
彼は日本人の礼儀正しさと謙虚さと理解力をとても評価していた。
ヴァリリャーノはその名が示すように人文主義的な思考の持ち主のイタリア人だった。
王家につながる貴族の出て、波打つ髪と印象的な美しい目、
背は高く堂々とした体躯だったという。
ヴァリリャーノは日本人の優秀さを知り、学校を作った。
未来へ向けて種まきをしたのだ。
1580年には15万人の信者がいて、200の教会があって85人の神父がいたという。
日本人の資質を見抜いたヴァリリャーノは日本の布教を支援してもらうために
ローマ教皇に使節を送ろうと考えたのだ。
日本キリスト教の絶頂期に日本へ来て、使節を連れ去ったヴァリリャーノ。

1582年(天正10年)、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信は4人の少年を送り出した。
大友宗麟の名代として伊東マンショ(主席正使)。
大村純忠の名代として千々石ミゲル(正使)。
副使として中浦ジュリアンと原マルティノ。
8年にわたる旅を終え、帰国したときに生きていたのは有馬晴信だけだった。
ラテン語とイタリア語とポルトガル語を解し、楽器も演奏した聡明な少年たち。
けれど帰国後の運命は壮絶だった。
伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルティノは勉強を重ね司祭になった。
伊東マンショは1612年に長崎で力尽きて病死。千々石ミゲルは棄教。
中浦ジュリアン1633年に長崎で穴づりで殉教。
原マルティノは1629年、追放先のマカオで死去。
彼らは世界への扉を閉ざした当時の政権によって素晴らしい体験を押し殺された。
でも彼らは信じる道を生きようとした。

ここで作者の言葉に目頭が熱くなる。
「人間の価値は社会において名前を残す傑出した人間になることではない。
それぞれが自己の信念に生きることである」
「どのような神を信じようとも、みながともに生きられる世界こそ、
ほんとうにわたしたちが望む世界である」

膨大な資料の中から歴史の真実を読みといていこうとする
作者の立ち位置に共感することしきり。
軽く海外へ行く時代、このような重い使命の中で命をかけて出国し、
その後の運命の中で真摯に生き抜いた少年たちだいた。
示唆するものが多い名著。
機会があったらぜひ読んでほしい。

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国  (集英社文庫) -
クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫) -

クアトロ・ラガッツィ 下―天正少年使節と世界帝国 (2) (集英社文庫 わ 13-2) -
クアトロ・ラガッツィ 下―天正少年使節と世界帝国 (2) (集英社文庫 わ 13-2) -

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2017年04月24日

『沖縄ひと紀行』三木健 1998

この本も昨年の沖縄訪問のときに三木さんからいただいたもの。

沖縄人と沖縄にかかわった人のインタビュー集だが、
この本から立ち上がってきたのは三木さんその人の仕事の歴史でもあった。
いろんな人に刺激を受け、助けも受け新聞記者となったこと。
そして沖縄を愛し、しぶとく生き、
研究にその身を捧げた人々などを真摯に追い続けたこと。
この本を通して三木さんという人の生き方に感銘を受けた。

筑豊の記録作家、上野英信が沖縄とかかわりを持っていたことも初めて知った。
上野は身寄りのない西表炭坑の坑夫を私財をはたいて筑豊に呼び寄せたのだという。

三味線という芸能で身を立てた山入端(やまのは)つるの人生は壮絶だった。
明治39年に屋部村で男三人、女三人兄弟の末っ子として生まれたつる。
長兄はメキシコへ炭坑移民、次男、三男は出稼ぎへ。
女三人は花街へ身売りされた。
それから三味線を習い、身を立てて東京で飲み屋を経営する。
この底知れない貧しさ。けれどこの本に書かれた人々は逞しい。

人はどんなに貧しくても、どんなに苛酷な環境に置かれても、
生きていかねばならない。
置かれた環境の中で闘っていくこと。それしかない。
ニューカレドニアのニッケル鉱山へ移民として海を渡った坑夫たちも
貧困が背景にあったのだろう。
この本の中の逞しい人々に触れて、勇気づけられる。

人は人と繋がっていく。
わたしは三木さんとのご縁で位置からして皆目検討がつかなかった
沖縄本島と八重山諸島への距離が少しだけ縮まった。
感謝したい。

沖縄ひと紀行 (沖縄人物叢書) -
沖縄ひと紀行 (沖縄人物叢書) -
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2017年04月23日

『聞書西表炭坑』三木健 三一書房 1982

元琉球新報社副社長で元沖縄ニューカレドニア友好協会会長の三木さんとの出会いは
2012年のニューカレドニアだった。
ジャーナリストの三木さんがニューカレドニアに注目したのは、
もともとこの西表島の炭坑の歴史を調査していたからだったらしい。
ニューカレドニアに移民としてわたった沖縄の人々は同じ鉱山労働者として働いた。
三木さんとは去年沖縄で再会して、とてもお世話になった。
そしてそのときいただいたのがこの本だった。
この本を読むまで西表島に炭坑があったことすら知らなかった。
西表島といえばイリオモテヤマネコくらいしか知識がなったのだから。

読み始めると、この本のあまりの重さにたじろいだ。
炭鉱に騙されて連れてこられ、そこがどこだかも分からず、
奴隷のように囲われ、働かされていた鉱山労働者たちがいた。
あまりに苛酷なその運命。
マラリアに襲われる島。
救いを求めて脱走しても、密林に阻まれそのまま野垂れ死にした坑夫たちもいた。
坑夫に麻薬を打っていた雇い主さえいた。
痴情のもつれから陰部にダイナマイトを突っ込まれ爆死した女坑夫も。

一つひとつの地獄のエピソードに気分が悪くなるほどだった。
けれどこの南の島でかって本当に行われていたことだ。
三木さんは心底情に厚い人。
島に埋もれた坑夫たちの怨念を放ってはおけなかった。
どうしてわたしはこれまで西表島と聞いて炭坑を連想できなかったのだろう。
負の遺産として隠されてきたからなのか。
けれど真実は掘り起こされなければならない。
人は人にこのようなひどい仕打ちができるということを忘れてはいけない。
三木さんのようなジャーナリストに会えたことは、
わたしがニューカレドニアとかかわって素晴らしかったことの一つだ。
今年77歳の三木さん。今もまだ精力的に活躍中だ。

※西表炭坑には1936-1937年(昭和11-12年)の最盛期に各地から1400名の労働者が集まり、
年間12-13万トンの石炭を産出していたが1960年に廃坑となった。
(ウィキペディア参照)

img207.jpg聞書西表炭坑 -
聞書西表炭坑 -
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2017年04月19日

『ハムレット』

この2週間でけっこう本を読んだので、
少しずつ紹介していきます。
まずは『ハムレット』。
青春時代にかなり読破した世界の名作文学。
漏れているものの一つがこれでした。
やっぱり一生に一回は読んでおかねばということで。
きっかけは、これもそもそも一生に一回は生を見ておかねばと見に行った
芝居屋企画の演劇『ハムレット』でした。
どうしてハムレットはさっさと父王の敵を討たないのか、
どうしてオフィーリアに冷たく当たるのか、
謎が多い芝居です。
訳者の福田恆存が書いた解説を読んで、
ハムレットの饒舌が理解できた気がしました。

「自分の人生を激しく演技している」

「その激しい演技欲のために、ハムレットは本来の自己を失う」

作者のシェークスピアは役者でもありました。
演じるということのために、演技する人を演じるために書かれたた本。
そう思うとはじめてあの饒舌が理解できたのでした。
そして演じることに取り憑かれた人たちが、
どうしてこの作品を演じたいと思うのかも。

ハムレット (新潮文庫) -
ハムレット (新潮文庫) -
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2017年03月20日

夢野久作 「犬神博士」

3月13日、箱崎公民館であった「ハコザキ夜読」。
第一部は杉山満丸さんの「夢野久作と箱崎」という講演でしたが、
第二部は夢野久作の「犬神博士」の読書会でした。
予約も準備もできなかったわたしは参加できませんでしたが、
本日「犬神博士」を読み終えました。

犬神博士 (角川文庫) -
犬神博士 (角川文庫) -

なんて、面白い小説!
ど、ど、ど、どうっと読み上げてしまいました。
犬神博士の本名は大神二瓶(にへい)。
神通力のある犬神博士にどうしてその力を得たのかを
新聞記者に聞かれ身の上話をすというのがこの小説。
明治の半ば、犬神博士が7歳のとき、
チイと呼ばれていたころの話です。

チイは大道芸人の両親に攫われて育てられ、
男の子でありながらオカッパ頭の女の子を格好をさせられ、
卑猥な踊りを踊って各地をさまよっていました。
博多の町に来たとき猥褻罪で警察に捕まり、
保護されたときに悪どい両親を健気にもかばい、
県知事に見込まれます。
県知事が引き取って面倒を見るというので両親はチイを連れて逃亡。
炭鉱で盛んになった直方に行きます。
泊まり込んだ木賃宿で主人のイカサマ賭博士にしてやられ、
両親はチイを差し出す証文を書かされ、今度は宿に火をつけ逃亡。
折り悪く台風の日でチイは一人船に乗り川を下り、
武芸の達人の老医師に救われ保護されます。
チイを取り戻したい県知事と、
筑豊に手を伸ばしてきた玄洋社の社長との切ったはったの大喧嘩に巻き込まれ、
その場から逃走するところで小説は終わります。
興味深いのはチイという美少年。
県知事も玄洋社の社長も警察もヤクザもものとのしない7歳児は
恐るべき洞察力のあるただならぬ子ども。
炭鉱でいざこざがあれば困るのは直方の民衆と、
なんとかしようとするチイは声を出せない民衆の代弁者。
ズケズケと思ったことを口にし、悪を許しません。
明治の炭鉱の利権争いを痛快にかっ飛ばす冒険小説でもあります。
異型の子どもチイは神なのでしょう。
今、利権に群がっているのはだれ?
チイ、こと犬神博士に現れてもらって、
悪い奴らを叩きのめしてほしいです。
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2017年02月17日

『真田幸村 紅蓮の炎燃え尽きるまで』 大澤俊作

真田幸村―紅蓮の炎燃え尽きるまで -
真田幸村―紅蓮の炎燃え尽きるまで -

1月21日に玄海椿さんの一人芝居「ロックンロール黒田官兵衛〜私が愛した天才軍師」を観劇した。
スト−リーがしっかりしていて、とても面白かったので、
出口で脚本を書いてギターの演奏もされていた大澤俊作さんの
「真田幸村 紅蓮の炎燃え尽きるまで」を買った。
大澤さんはNHKの大河ドラマで黒田官兵衛が取り上げられる前に、
官兵衛の本を書き、真田幸村が取り上げられる前この本を出版されている。

話は真田家の勃興から語られる。
幸村の祖父、幸隆は武田信玄軍の先鋒として暗躍。
信玄が結核で亡くなるった直後、62歳で亡くなる。
幸隆の子、昌幸は武田氏が滅んだ後信長に従うが本能寺の変で信長が亡くなると、
混乱する時代の中で主家を次々と変えていくのはドラマでも周知。
やがて秀吉の臣下となり、徳川家とは嫡男信幸が養女の小松姫と結婚し親戚となる。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こり、
昌幸と次男の幸村は西軍に、息子信幸は東軍につく。
東軍は破れ昌幸と幸村は高野山山麓の九度山に謫居。
そこで昌幸は亡くなる。そして慶長19年に起きた大坂の陣で幸村は討死。
戦乱の世で主家を変え翻弄された真田家。
けれど信幸を徳川方にしたため、真田家はその後も存続する。
その戦いぶりで後世に名を残した幸村。
この本は幸隆から幸村が亡くなるまでを追う。
特徴は家康に替わり天下取りを狙っていた伊達政宗と通じていたというところ。
忍者が暗躍するのも面白い。
作者が自らの思いを幸村に語らせるシーンが
この小説を書いた意味ではないかと思う。

「某のように『死』にしか、生きることのできない人間が数多いるこの悲しい時代をいかばかりか世に問いかけたいのでござる」

阿鼻叫喚の戦場。流された夥しい血。
主君のためにある生。
戦国時代に魅入られながら、戦国時代を批判する書であると思う。
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2016年08月11日

「泣くな道真 大宰府の詩」澤田瞳子

泣くな道真 大宰府の詩 (集英社文庫) -
泣くな道真 大宰府の詩 (集英社文庫) -

持病がかんばしくなく、遅くまで起きられなかった朝。
おかげで読了した「泣くな道真」。
このタイトルのため、ど〜よ〜?と思って読み始めたこの本。
大宰府に到着した道真公のヒステリックな怒りぶりに、
どうなることやら?と思って読み進めるほどに面白さを増し、最後は一気読み!
面白かった〜!

まずあの想像することが難しかった大宰府政庁の中が生き生きと描かれていること。
ふがいない役人(保積)を主要登場人物にしつらえながら、
大宰府に来て変わっていく道真と共に、前向きに変化してくこと。
少弐の妹の恬子が、実は小野小町で
 美しく艶っぽい女人でありながら、
色事にふけるどころか、ちゃきちゃき奔走し、
大団円の暁には別天地に一人で旅立っていく潔さ。
異国の商人が跋扈する博多の町。。。

道真が大宰府に左遷されたときの大弐(だいに:事実上の長官)は
小野葛絃(くずお:46歳)。
その片腕の少弐は小野葛根(28歳)で葛絃の甥。
二人を追って都から来た小野恬子(しずこ 25歳)は
女手が必要な政庁の台所などを采配している。
役所で居眠りばかりしてやる気のなさナンバーワンの少典、
龍野保積(ほずみ)が、あろうことか府の南館に謫居する道真公の慰め役に抜擢される。
迷子になった隈麿(道真公が都から連れてきた二人の子どもの一人 5歳 もう一人の紅姫は7歳)を
送り届けたことから南館に出入りすることになった恬子。
部屋に閉じこもる道真公に対する恬子の進言で
博多に出向いたところ唐物商橘花斎(きっかさい)で
偽名菅三道(かんさんどう)を用い目利きとして働くことになる。
そんな日々、名品、張僧繇(ちょうそうよう)の
阿弥陀如来を明瓊寺の泰成が買っていったことを知り、
道真公は追いかけていく。
そこでその時代の矛盾を集約したような
死を間近に迎え打ち捨てられた老人がその仏画の前に横たえられているのを見る。
そして泰成にかつて道真公が書いた「寒早十首」を、
貧者の苦しさの一端を見ただけですべてを分かった気でいると批判される。
ここで泰成が言う言葉に打たれた。

「貧者を救うのは、官でも御仏でもない、人だ」

真の貧しさ、弱者を知り、
それを救おうとする市井の僧によって道真公は変わるのだ。
やがて政庁で第帳司豊原清友による横領が発覚し、
大弐を傷つけまいと画策する葛絃に道真公は妙案を提案する。
それは希代の詩作者、名筆家であった道真公にしかできない技!
小説ならではの痛快さだ。。。

大宰府は鄙の地などではない。
万葉の時代から文学が花開いた地。
異国の人々が行き交う地。
この地で詩作にのみ励んだ現実の道真公。
清廉なその生活の中で、陰謀渦巻く都にはもう帰りたくなかった。
だからこそ遺体は京へやらないでくれと願われたのではなかろうか、
とますますその念を強くする。
つまり都よりこの地を愛されたのだ。
猛暑の夏のお友にお勧めの一冊です。
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2016年07月29日

元日赤看護婦によるフィリピン従軍記『佛桑花(ぶっそうげ)』

80代半ばの叔母から連絡があった。
どうしても紹介したい本があると。
友だちの95歳の元看護婦さんが自らの戦争体験を記した本を出版したという。
どんな本か分からないので福岡市中心部に住む叔母のところに本を受け取りに行った。
それがこの本。佛桑花とはハイビスカスのこと。

IMG_20160728_0001.jpg

男性の戦記ものは数あれど、女性、しかも従軍した日赤看護婦の体験記はなかなかないのではないだろうか。
しかも作者は高齢。
どうしても世に残しておきたいという気迫が感じられる。
またそれをサポートしたいという叔母の熱意も。

昭和19年、第三一八日赤福岡班としてフィリピンへ派遣された入江ヨシ子さん。
ダウ兵站病院勤務を命じられる。
しかし病棟は赤十字の印をつけながら攻撃される。
裸足で山道を敗走する日々。
ゴキブリすら食すような状態の中、死んだ患者の肉が切り取られているのを発見する。
着るものも、靴もなく、仲間の看護婦たちはすべて生理が止まる。
唯一生理があった作者は血液を垂れ流しながら行軍した。
たどり着いた川に身を投げ込むと真っ赤な波紋が広がった。
25歳で捕虜となり、戦後一年経って佐世保に引き揚げた。
実家に戻るとそこは焼けていた。
近くに移り住んだ両親と号泣して再会する。
全身虱だらけのからだから虱を洗い流すのを
母親が手伝ってくれる間、涙を流し続けた。
帰国しても幻覚に悩まされ熟睡できず、
夜中に「助けて」と大声を出した。
近くの寺のお坊さんに
戦地で救えなかった傷病兵に申しわけなかったという気持ちを伝えることで
落ち着きを取り戻していった。
緊張の糸がとれたあとはマラリアに罹る。
やがて精神も肉体も回復し、福岡逓信病院に勤務。
婦長、看護部長として職務を全うする。

戦後70年、当時の記憶が風化し、ふたたびきな臭くなる時代。
戦争の悲惨さと悲しみを伝えるためにこの本を上梓した。
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2016年07月17日

「海鳴りの底から」堀田善衛

読むべき本だった。
下調べにと思って読みかかった本。
読み終わってそう思う。

島原の乱は寛永14年10月25日(1637)勃発、
寛永15年2月28日(1638年)に終結した日本の歴史上で最大規模の一揆だった。
飢饉と凶作が続いた上に、
過酷すぎて死ねというに等しい年貢の取立てに耐えかね
立ち上がった島原の領民たち。
キリシタン大名に仕え、禁教令後、
武士から農民に転じて指導的な立場に立っていた
旧有馬氏などの家臣の下に組織化された人々の数は3万7000人。
それに対して幕府連合軍は12万5000人。
3万7000人のほとんどが2月27日と28日に虐殺された。
原城の面積と死者の数の多さを比べれば、
原爆による広島、長崎の死者より犠牲の度合いは高かったと桑原武夫は推定している。

しかし3万7000人という数は革命の規模だ。
飼い慣らされてきた人々が団結して立ち上がった。
こんなことが日本の歴史にあったのだ。
島原の乱というと美少年の天草四郎が主人公のものも多いが、
この本では四郎は脇役で、わずかしか登場しない。
ある種の魅力はあるものの、圧倒するような美少年にもカリスマにも描かれていない。
最もスポットが当たっているのは裏切り者のユダ、46歳の山善右衛門だ。
家族が殺される中、一人生き残って城を出る。
作中、種子島から駆け付けた皆吉長右衛門は言う。
「米をつくり、芋をわが手でつくる百姓たちが、
自分で自分のことを相談してきめていくのが一揆ということなのじゃ。
政道の度を一つにする、百姓のものにする、これが一揆じゃ。
百姓は国の宝、いまはさかしまなのじゃ」
「織田信長も豊臣秀吉も、みな百姓をおのが勝手に使い、
使いよいものを仕立てあげていったのじゃ。」
「百姓は地頭管領や大名の私物でないとじゃ。一人前の、人間なのじゃぞ」。

また作中の四郎は言う。
「一切の衆生に貴賤の別はない。
ここにつどわれた三万七千余人の人々に、役目の上での上下はあり、
下知に従わねばならぬが、ここに人別による貴賤はないものと、
かたく心得てもらいたい」

堀田は物語に挿入されるプロムナードという自らの考えを述べる章でこう言う。
「民主主義とは国民が自己の運命にかかわることを、
自ら考え、決断し、その考え、決断を表現し、
政治家というものはその考え、決断を執行するサーバントとしてある」。
堀田はまた、『キリシタン大名』を著した
ミカエル・スタイシェン師の言葉を引用している。
「自ら大名の『もの』だと思うことに慣れてきた日本の農民にとって、
原の叛徒は日本の歴史上に珍しい大胆と勇気を示した。
恐らく彼らの同胞は、他日人民の権利の最初の擁護者としてこれを重く見るであろう」

堀田善衛は宮崎駿の最も尊敬する作家だという。
わたしは未だ行かざる原城へ行った際は、
人間として当たり前のことを請求し、
虐殺されていった3万7000人の人々の漂う阿鼻叫喚の声にいたたまれないことだろうと思う。

民主主義とは何ぞや。
今、この時代にまた読まれなければならない書だと思う。

海鳴りの底から〈上〉 (朝日文芸文庫) -
海鳴りの底から〈上〉 (朝日文芸文庫) -

海鳴りの底から〈下〉 (朝日文芸文庫) -
海鳴りの底から〈下〉 (朝日文芸文庫) -
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2016年04月29日

「街道をゆく11 肥前の諸街道」司馬遼太郎

街道をゆく 11 肥前の諸街道 (朝日文庫) -
街道をゆく 11 肥前の諸街道 (朝日文庫) -

薄い文庫本なのに、なんと豊かな知が詰まっているんだろう。
この本を手に取ったきっかけは横瀬浦に行ったとき、
「街道をゆく」の一節が碑になっていたから。

DSC01367.JPG

「肥前の諸街道」で司馬は今津の蒙古塚から始まり、
平戸、横瀬、福田、長崎を海岸線に沿うように訪ねている。
メーンは南蛮文化時代だ。
そもそもは平戸から始まる。
でもなぜ平戸だったのか。
それは明末の海賊王直がきっかけだった。
彼がポルトガル船に乗り日本を目指したが種子島に漂着して鉄砲が伝わる。
その後平戸にポルトガル船を引っ張っていったという。
宣教師と一体となっていたポルトガル商人たちは
切支丹嫌いの松浦候の態度に飽きて平戸を捨てる。
そして向かったのが横瀬だった。
たった二年ではあるが横瀬にキリスト教文化が花開いた。
そこには物分りのよい領主、大村純忠がいた。
横瀬浦の土地の半分を切支丹に提供。
たちまち横瀬には大きな会堂が建ち、重臣も常駐、
純忠自身、ドン・バルトロメオという洗礼名を受けた。
そのとき31歳。
純忠は知的好奇心が旺盛な上、人柄もよかったという。
横瀬の聖堂でのミサは午前四時。
純忠は午前三時に来て待っていた。
教会は純忠のために絨毯を引いたが、
座らないか、端を選んだ。
そばの庶民の信者が純忠のそばから離れようとすると、
そういう配慮を断ったそうだ。
神の前では地上の身分は意味を持たないことを知っていた。

横瀬の入江の中央には松露饅頭のような八ノ子島という小島が浮かび、
大きな十字架が建てられた。
十字架は今再建されていて、横瀬浦を訪れたとき、実際に見ることができた。

DSC01386.JPG

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二年後、純忠の政敵、義弟の後藤貴明を立てる勢力の夜襲を受け、
横瀬は焼き払われる。
その後、港は福田に開かれ、良港ではなかったため、長崎に移された。
長崎が教会領になって7年後、純忠が亡くなる。
次いで秀吉が切支丹禁制を布告する。

さて、そもそも大航海時代の先鞭をなぜポルトガルという小さな国がつけたのか、
それはヘンリー航海王がいたからだった。
彼はポルトガルに航海学、地理学の研究所を開き、
人種や国籍を問わず学者や船乗りを集め、航海と植民地の発見、
そして貿易を事業とした。
三本マストに四角と三角の帆をはためかせて入港してくる様子に
当時の日本人は度肝を抜かれたことだろう。
長崎港をポルトガル人たちはドン・バルトロメオ港と呼んでいた。
純忠の洗礼名だ。
イエズス会が長崎を領地にして最初にやったことはまずかった。
領内の神社・仏閣をことごとく焼き払ったのだから。
これでは秀吉も禁教令を出すだろう。
次にやってきたオランダはプロテスタントの市民社会の国だった。
彼らは十字軍的な方法を取らず、信仰は個人のものとして、
信仰と商売を切り離した。
そして出島での商売を許されることになった。

最後に語られる印象深い人物を記しておく。

ルイス・アルメイダ。
リスボンの貿易商だったが、日本に来て宣教師になる。
私財を投じ、豊後府内に育児院や総合病院を建て、
長崎にも同様の施設を作った。無論医療は無料。

長崎には慈恵院という医療施設があって、
ジェスティノという洗礼名を持つ日本人が統轄していた。
頭を丸め、妻も剃髪して共に運営していた。
慈恵院は病院、養老院、貧民救済院を経営。
社会奉仕という概念がなかった当時の日本でなんというヒューマンな活動をしていたのだろう!
秀吉も慈恵院には手出しをしなかったらしい。
長崎にはいろんな観光地があるが、
もっと慈恵院のことを誇っていいと思う。

戦国末期に打ち寄せた不思議な時代。
その時代の薫りをかがせてくれる素晴らしい一冊だ。
司馬さんありがとう。
そして横瀬浦に連れて行ってくれたMさん、ありがとう。
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2016年04月20日

『街道をゆくL壱岐・対馬の道』司馬遼太郎

街道をゆく 13 壱岐・対馬の道 (朝日文庫) -
街道をゆく 13 壱岐・対馬の道 (朝日文庫) -

春休みに壱岐の古墳を見に行ったあと、この本を読んでみました。
今まで壱岐対馬と一緒くたにとらえていた二つの島が
まったく対照的な島であることが分かりました。
でも二つの島とも古代世界では大陸と日本との中継点として、
なくてはならない島でした。

そもそも古事記にも登場します。国生みの話の中で。
“・・・次に伊伎島を生みき・・・次に津島を生みき・・・”

『魏志倭人伝』に登場する対馬は次のよう。

“はじめて一海を渡る千余里。対馬国に至る
・・・居る所、絶島。・・・土地は山険しく、森林多く、
道路は禽鹿の径のごとし。千余戸あり。
良田なく、海物を食って自活し、船に乗りて南北にい市てきす”

それに比べて長崎県で二番目に広い平野を持つのが壱岐。

対馬の方は良田がないため、室町時代は倭寇となって朝鮮沿岸の米倉を狙って荒らしました。

壱岐で亡くなった人の中で
雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)という人が印象に残りました。
雪連宅満は天平8(736)年、聖武天皇の命で派遣された遣新羅使の一員でしたが、
辿り着く前に天然痘で亡くなったのでした。
雪連宅満の先祖は壱岐出身の占い師。
雪連宅満は海上で亀の甲を焼いて吉凶を占う卜部として乗船したのです。

この本で興味深かったのは“日本の神道が決して日本列島固有のものではなかった・・・”
というくだり。

“骨ト(こつぼく)をやっていた遊牧民たちが、
草原で羊を追いつつ信仰していたのは、天であった。”
“殷人が夷狄くさいのは、王みずからが天を祭り、
天の意志を知るために王みずからが神主の長となって亀トをおこなった”
“縄文時代、多分に南方的な言語と信仰をもっていた日本列島居住民のなかに
対馬・壱岐を北方から串刺しにしてやってくるのは、
この天の思想である。日本の古神道に天つ神があらわれるのは、
右の要素をのぞいて考えられない”
“天つ神は日本の国土に土着した国つ神とは異なり、
観念性のつよい存在といっていい。
「高天原」を祖地とするこの一群の特異な神々は、
『古事記』『日本書紀』によって
天孫降臨の直系という天皇家の祖神群として独占されているのである。
ところが日本中で対馬だけが異例で、
天つ神たちが土着神として島内にいくらでもーーごろごろと祀られているのは
どういうことであろう”

壱岐までは二度行きました。
でもその先の対馬は未だ未踏の地。
行ってみたい島です。
posted by 理乃 at 14:40| Comment(0) | ★図書室 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする