吉塚探訪、その3は「吉塚地蔵堂」。
ここには吉塚がなぜ吉塚と呼ばれているかの謎が隠されています。


お参りのことばは
「をんかかかび さむまえぃ そわか」
ここの絵馬はレトロな手書き。

以前、この絵を描いている方を取材しようと試みたことがありますが、
成功しませんでした…。


さて、では謎解きのほうを…。
時は戦国時代に遡ります。
筑後星野の城主は星野吉実(よしざね)といいました。
吉実は敵将の高橋紹運(じょううん)を太宰府の四王寺山の岩屋城で滅ぼしました。
しかし、天正14年(1586)、
高橋紹運の長男で豊臣勢の立花宗茂(むねしげ)の攻撃で落城。
吉実は自刃し、その首はこの地に埋葬され、
吉実塚とされました。
そのため、後にこの付近は吉塚と呼ばれるようになったのです。
※参考:説明書き
とおい戦乱の時代…。
戦って死んでいった武将たち…。
この場所は現代の街のなかで、
そんな戦国の時代と繋がっているのです。
高橋紹運の居城跡を眺める場所に住むわたしには感慨深い場所です。
さて、地蔵堂と同じ敷地には神社もあるのです。

これは「秋葉(あきは)宮」。
火防(ひぶせ)の神様として全国に散らばる秋葉神社の一つ。
東京の秋葉原も秋葉神社からきています。
吉塚の秋葉宮に祀られているのは…不思議な石です
(信仰の対象なので写真はなし。見に行ってください)。
これが何なのか…???
知りた~い。
謎です…。