行ってみました。


菅原道真公が左遷されて榎社にいたころ、
武蔵寺に参詣され、自ら像を刻んだといわれれているのが
この御自作天満宮のご神体。
天正14(1586)年の岩屋城攻防戦の折、
御自作天満宮とご神体は焼けました。
しかしご神体の首だけは焼け残り、
元禄年間に黒田藩武蔵領主立花増弘が修理をして、
今の場所に新しい社殿を建てて移したといいます。
もともとあった場所は現古民家cafe 華蔵の裏。
今は平地となっていますが、
少し前まで森の天神と呼ばれるこんもりした丘でした。


御開扉の日は1月、4月、10月の各25日です。
この日は人が境内にいて安心なので、
奥の白瀧神社へも登ってみました。



明治初めごろから戦後すぐまで湧き水がありました。