さあて、きゅーはく女子考古部卒業旅行のおさらいです
(わたしが参加できたのは一泊二日の旅の初日のみですが)。
行き先は魏志倭人伝に登場する一支国=壱岐です。
博多埠頭からフェリーに乗って、志賀島、玄海島、糸島半島を越えて玄界灘の海原を進みました。


志賀島

玄海島
2時間20分のゆっくりした船旅ののち壱岐の郷ノ浦に到着。
壱岐はまだ飛行機が飛んでいた25年ほど前に行ったきり。
その時はいわゆる観光旅行。名所をぐるりと回りました。
そして今、きゅーはく女子考古部の卒業旅行としていく壱岐は古代への旅です。
もちろん。
以前行ったときとはまったく視点が異なる旅。
こうも変わるのかと思います。でも25年前とは壱岐も違っているのです。
郷ノ浦で食事を終えたのち、一支国博物館に向かいました。

予想を越えた博物館にまず驚きました!
自然の景観を損なわないよう配慮された建物は黒川紀章の設計。

国内では最後の仕事だそう。2010年の建築です。
近くにある「魏志倭人伝」に書かれた一支国の王都、
原の辻遺跡や島内の遺跡に関する資料や出土品を収蔵展示しています。
カビ臭い展示館とは真逆の、子どもから大人まで、誰もが楽しめる施設でした。
ここは学芸員の松見裕二氏の案内で見て回りました。
「邪馬台国への道」では「魏志倭人伝」に書かれた一支国などを分かりやすく紹介。
「ビューシアター」は一支国の様子を再現。
映像を見終わると、その背後のリアル原の辻遺跡が目の前に広がるという心憎い仕掛け。
「一支国トピック」では原の辻遺跡をジオラマとフィギュアで再現。

そして驚くべきは見せる収蔵庫。

収職庫というと暗い、地味というイメージで、
せいぜいバックヤードツアーで見られるくらい。
それが収蔵庫まで見せてしまうという造りになっているのです。
また館長の須藤正人氏は昭和52年に司馬遼太郎が
「街道をゆく」の取材で壱岐を訪れた際に案内をされたそう。
前知識なく行くものだから、着いてみてびっくりが連発のきゅーはく女子考古部OBの旅です。
追記:
ミュージアムショップで壱岐産の真珠を売っていました。

博物館の一角に矢田一嘯(やだいっしょう)の「元寇図」がありました。
ここで矢田一嘯の絵が見られるとは。。。

弘安の役(1281)で元軍の船に立ち向かう少弐経資軍。
矢田一嘯はアメリカでパノラマの描法を研究した画家。
明治23年東京上野のパノラマ館に「奥州白川大戦争図」の大場面を、
東公園の日蓮さんの銅像台座のパノラマレリーフも手がけています。