2019年05月02日

2019.4.30諫早例会Fあづま屋の味噌饅頭

諫早名物のこの味噌饅頭はとってもおいしい!

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ふわっとやわらかな皮はほんのり味噌の風味が。
でもほとんどわかりません。

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なによりおいしいのは塩気のあるあんこ。
手亡豆と小豆のミックス。
上品で甘さを抑えてあります。

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諫早土産におすすめです!

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posted by 理乃 at 18:06| Comment(0) | 長崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019.4.30諫早例会Eカフェ・トランキラ

例会を開催した場所は「カフェ・トランキラ」。

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グループホーム・自立生活援助サービス事業所に隣接したカフェです。

子どもからご年配の方、障害のあるなしや、
国籍、性別の違いを問わず、
“たのしく安心して過ごせる たまり場づくり”を目指しています。
心のこもったとっても美味しいランチはなんと500円。

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プラス300円でデザートと珈琲がつきます。

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◆カフェ・トランキラ
長崎県諫早市川内町136−9
(島鉄バス停留所「半造」の裏手、川沿いを徒歩1分)
п@070-7587-9608
営業時間 11時30分〜15時30分
約15席
不定休(月・金は原則休み)
※レンタルスペースとしても利用可
 1,000円/1時間
posted by 理乃 at 17:43| Comment(0) | 長崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019.4.30諫早例会D眼鏡橋

石橋好きは絶対訪れるべき眼鏡橋です。

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とにかく美しい。
かつては本明川に架っていましたが、洪水で移されました。
建設は1839年。
石橋としては日本で最初に重要文化財に指定されています。

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江戸時代、本明川は毎年のように氾濫し、
橋は洪水のたびに壊れたり、流失したりしていました。
このため、人々は川飛び石を並べて渡ったりしていました。

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幕府から領地検分の使者がやってくることになったとき、
どんな大洪水でも微動だにしない
「永久不壊の石橋」を造ろうということになりました。
「力のあるものは力を、物のあるものは物を、
金のあるものは金を」を合言葉に、大工事に取り組みました。
経費は当時のお金で銀三千貫。
領主から渡されたお金以外は
人々の募金や僧侶の托鉢などで集められ、1年半で完成。
橋の長さは49.25m、幅5.5m。
非常に頑丈で、以後は一度も流失することはありませんでした。

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ところが昭和32年7月25日、
諫早地方をおそった記録的な集中豪雨のため、
諸川はほとんど氾濫。
死者・行方不明630人もの犠牲者がでました。
眼鏡橋は流されずにすみましたが、
流木を受け止め、
川の流れを堰き止めたために被害が拡大したと言われました。
そのため爆破されることになっていました。
しかし、当時の諫早市長は眼鏡橋爆破に反対し、
文化財としての保存を提案。
「50年後の孫子の代を考えれば
市の象徴である眼鏡橋保存が大事」と中央の政治家に働きかけ、
場所を移して保存となったのです。
橋に階段があり、
中央が下がっている本当の眼鏡の形は日本ではここだけとか。
うっとりする姿です。

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※諫早市HP参照
ラベル:眼鏡橋 諫早
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2019.4.30諫早例会C諫早城址

諫早城は戦国時代に築かれた高城(山城)。

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全山が国指定天然記念物
「諫早市城山暖地性樹叢(しろやまだんちせいじゅそう」に覆われています。

戦国時代、伊佐早(諫早市)を統一した西郷尚善が築いたこの山城は
北側は本明川を天然の堀とし、
南側の絶壁の下には空堀や土塁を造り、守りを固めました。
その後、天正15年(1587)、豊臣秀吉の命令に従わなかった4代目西郷信尚は、
龍造寺家晴(初代諫早家)に攻められて高城を追い出されます。
それからは諫早家の高城になりますが、
江戸時代の「一国一城令」で山城は姿を消しました。
中腹には伊東静雄の詩碑もあります。

※諫早観光物産コンベンション協会HP参照

ラベル:諫早
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2019.4.30諫早例会B小野用水

諌早高校敷地内の御書院にも送水されている美しい疎水、小野用水。

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諌早といえば干拓ですが、その歴史は1330年頃に始まります。
小野用水は、干拓地を生産力の高い水田にするために造られた用水路。
水音を作り出し、町に潤いを与える風物の一つです。
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2019年05月01日

2019.4.30諫早例会A御書院

諫早の美しい桃山様式の庭、御書院。

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なんと諫早高校の敷地内にあり、
周辺は高城回廊として整備されています。

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こんな庭のそばで勉強できるなんて、
思い出深い高校生活が送れそうです。

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戦国時代、この地は西郷尚善が治め、
その後、諫早家初代龍造寺晴公が壮大な屋敷を建てました。
御書院は庭園内に建てられた屋敷のうちの一つで、
佐賀藩主の公式行事に使われていましたが、
諫早大水害後に取り壊され、
今は庭園だけが残っています。
つつじの花が残っていて、
雨に濡れた景色は情緒があり、
グッドタイミングで訪れることができました。

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ラベル:御書院 諫早
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2019年04月30日

2019.4.30諫早例会@諫早市美術・歴史館

今日は平成最後の同人誌GAGAの例会を諫早で開催しました。
その後、同人に諫早を案内していただきました。
最初は2014年にオープンしたばかりの諫早市美術・歴史館。

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民具から焼き物まで、美術も歴史も学べる施設で、
窓からは御書院の緑が見渡せます。
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2016年04月06日

きゅーはく女子考古部卒業旅行:一支国への旅 おまけ グルメ

きゅーはく女子考古部卒業旅行:一支国への旅のおまけ、グルメ情報です。
お昼に行ったのは「大衆割烹太郎」。

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建物正面に太郎さんなのでしょうか?お顔がドーンとあります。
新鮮なお刺身とブリかまお煮付けの定食。

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醤油味が濃すぎない丁度良い味付けでした。
帰りのヴィーナスの中でおやつにいただいたのは
一支国博物館で買ってきた原の辻遺跡から出土した
人面石がモチーフの人面石クッキー。

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1枚 130円。5枚箱入り 700円。
壱岐商業高校家庭クラブの学生さんとのコラボ商品だとか。
赤米を50%使用。
赤米、小麦粉ともに純・壱岐産のクッキー。
人面石はゆるキャラにもなっています。
ムンクの叫びに似ているけれど、
こちらは素朴で暗さはありません。
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2016年04月03日

M氏と行く切支丹遺跡のたび おまけ グルメ

今回も充実していたM氏クラブの旅。
反芻すべきことがたくさんですが、グルメも紹介しておきます。

お昼は大島造船所の対岸にあり目の前が海という
活魚料理の「小安丸」で新鮮な刺身定食をいただきました。

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帰りは道の駅「さいかい」に立ち寄り、
産直の農産物を買って帰りました。

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「みかんアイス」が目に入ったので買ってみました。
みかんの味がするアイス。
さっぱりして美味しかったです。

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2016年04月02日

【M氏と行く切支丹遺跡のたび その3 中浦ジュリアン記念公園

天正10年(1582)に天正遣欧使節としてヨーロッパへ向けて出港したのは
長崎の少年たちでした。
その中の一人、中浦ジュリアンの生誕地が西海市西海町中浦。
館(たち)と呼ばれれたところです。
今、その場所は中浦ジュリアン記念公園として整備されています。

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資料展示室内部

中浦ジュリアンは有馬のセミナリヨ(神学校)で学び、
伊藤マンショ、千々石ミゲル、原マルチノらと一緒に使節に選ばれました。
ヨーロッパ諸国で歓待を受け、ローマ教皇との謁見を果たしています。
8年半の滞在ののち帰国。
天正19年(1591)に京都の聚楽第で豊臣秀吉とも謁見。
その後イエズス会に入会。
マカオで学んだ後、神父となります。
禁教下ので布教活動を行い62歳のとき長崎で穴吊りの刑に処せられ殉教しました。

時代に翻弄された一生。
若くして特殊な体験をしたジュリアン。
資料展示室の屋根に立つジュリアンの像はとても初々しいもの。
それだけにのちの苛酷な運命を思うと、
とてもつらくなります。。。

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※西海地域の歴史文化遺産HP参照
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M氏と行く切支丹遺跡のたび その2 太田尾カトリック教会

「切支丹遺跡のたび」その2です。
横瀬浦からは大島へ渡りました。
大島は船でしか行けないと思っていましたが、
今は橋で繋がっているんですね。
大島には造船所があります。

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太田尾カトリック教会は大島の西海岸の高台にあります。
坂道を300m上らなければなりません。
1883年、外海の奉公先でカトリック信徒になった太田尾の女性が
島に戻って信仰を続けたのが始まりでした。

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教会建築というのは個性的です。
正面には窓を模した装飾がありました。
堂内も個性的でした。
リブ・ヴォールトの支柱がないのです。
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2016年03月31日

M氏と行く切支丹遺跡のたび その1 横瀬浦

歴史のエキスパートM氏。
何度か旅のお誘いを受けているんですが、
今回はM氏主催の切支丹関連遺跡の旅に参加しました。
総勢19人。マイクロバスに乗っての旅です。
高速を西に向かいます。
多久を通り武雄JTCから西九州自動車道へ。
ハウステンボスを横切り西海パールラインへ。
西海橋と桜を眺めて西海市の北部へ。
そこに横瀬浦はあります。

初めて聞く地名でした。
でもここは長崎以前の港だったのです。
天文18年(1549)ザビエルは鹿児島でキリスト教布教を許され、
1550年のは平戸でも布教を始めます。
平戸では20日で鹿児島の1年間の布教より多くの信者を獲得。
そのため、神社、寺から領主に圧力がかかり平戸では布教が難しくなります。
そうして選ばれたのが横瀬浦でした。

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現在の横瀬港

永禄5年(1562)、ポルトガルのルイス・アルメルダ(商人・修士・医師)が横瀬浦に来ます。
そして日本初の切支丹大名となった大村純忠が開港します。
日本地区布教責任者のトルレス神父もきます。
こうして横瀬浦は一挙に切支丹の町になります。
そこへやってきたのが、かのルイス・フロイス。

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横瀬浦公園に上がる階段に設置されているフロイス像

フロイスは横瀬浦に半年滞在したといいます。
当時は岡の上に教会が建ち、周辺には繁華街ができ商人が訪れにぎわいました。

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横瀬浦公園。かつて教会が建っていた岡にある資料館。

遊郭もありました。
でも1年余りの栄華ののち、純忠の義弟、後藤貴明との抗争で町は焼きつくされてしまうのです。
その後、ポルトガル船の入港地は福田浦、長崎へと移りました。
かつてあった切支丹の町。たった一年余りで消滅した港町。
それが横瀬浦なのです。
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2016年03月29日

きゅーはく女子考古部卒業旅行:一支国への旅 その2 原の辻遺跡(はるのつじいせき)<原の辻一支国王都復元公園

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一支国博物館からの眺め

壱岐の原の辻遺跡は弥生時代の環濠集落です。
魏志倭人伝に書かれた一支国の王都があったところ。
2000年(平成12年)に国の特別史跡に指定されています。

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日本最古の船着き場の跡や住居跡、
そしてムンクの叫びのような人面石が発見されています。
※一支国博物館HP参照

追記:壱岐は河合曾良(かわいそら)終焉の地。
勝本浦の能満寺に墓があります。
信濃に生まれ芭蕉の「奥の細道」の旅に従った弟子の曽良の墓がどうして壱岐に??
曽良は宝永6年(1709)に幕府の巡見使随員となり九州を廻りました。
その途上壱岐で62歳で病没したとのことです。

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2016年03月27日

きゅーはく女子考古部卒業旅行:一支国への旅 その1 一支国博物館

さあて、きゅーはく女子考古部卒業旅行のおさらいです
(わたしが参加できたのは一泊二日の旅の初日のみですが)。
行き先は魏志倭人伝に登場する一支国=壱岐です。
博多埠頭からフェリーに乗って、志賀島、玄海島、糸島半島を越えて玄界灘の海原を進みました。

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志賀島

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玄海島

2時間20分のゆっくりした船旅ののち壱岐の郷ノ浦に到着。
壱岐はまだ飛行機が飛んでいた25年ほど前に行ったきり。
その時はいわゆる観光旅行。名所をぐるりと回りました。
そして今、きゅーはく女子考古部の卒業旅行としていく壱岐は古代への旅です。
もちろん。
以前行ったときとはまったく視点が異なる旅。
こうも変わるのかと思います。でも25年前とは壱岐も違っているのです。
郷ノ浦で食事を終えたのち、一支国博物館に向かいました。

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予想を越えた博物館にまず驚きました!
自然の景観を損なわないよう配慮された建物は黒川紀章の設計。

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国内では最後の仕事だそう。2010年の建築です。
近くにある「魏志倭人伝」に書かれた一支国の王都、
原の辻遺跡や島内の遺跡に関する資料や出土品を収蔵展示しています。
カビ臭い展示館とは真逆の、子どもから大人まで、誰もが楽しめる施設でした。
ここは学芸員の松見裕二氏の案内で見て回りました。
「邪馬台国への道」では「魏志倭人伝」に書かれた一支国などを分かりやすく紹介。
「ビューシアター」は一支国の様子を再現。
映像を見終わると、その背後のリアル原の辻遺跡が目の前に広がるという心憎い仕掛け。
「一支国トピック」では原の辻遺跡をジオラマとフィギュアで再現。

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そして驚くべきは見せる収蔵庫。

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収職庫というと暗い、地味というイメージで、
せいぜいバックヤードツアーで見られるくらい。
それが収蔵庫まで見せてしまうという造りになっているのです。

また館長の須藤正人氏は昭和52年に司馬遼太郎が
「街道をゆく」の取材で壱岐を訪れた際に案内をされたそう。
前知識なく行くものだから、着いてみてびっくりが連発のきゅーはく女子考古部OBの旅です。

追記:
ミュージアムショップで壱岐産の真珠を売っていました。

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博物館の一角に矢田一嘯(やだいっしょう)の「元寇図」がありました。
ここで矢田一嘯の絵が見られるとは。。。

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弘安の役(1281)で元軍の船に立ち向かう少弐経資軍。
矢田一嘯はアメリカでパノラマの描法を研究した画家。
明治23年東京上野のパノラマ館に「奥州白川大戦争図」の大場面を、
東公園の日蓮さんの銅像台座のパノラマレリーフも手がけています。
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2015年11月04日

長崎:カトリック教会を巡る旅 D田平天主堂 2015.10.28】

ラストは今回の旅の最も重要なターゲット田平天主堂。
2007年「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産暫定リストに追加されました。

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目に入るなり感動する教会です。

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歴史を感じるレンガ造り。
屋根の緑や外壁のデザインが力強く魅力的です。
レンガをつなぐ接着剤用の石灰を作るため貝殻を持ち寄って焼いたそうです。

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設計施工は鉄川与助。
与助レンガ建築の最高峰ともいわれています。

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2015年11月03日

長崎:カトリック教会を巡る旅 D紐差教会 2015.10.28

この教会だけは、30年ほど前に一度来たことがありました。
大好きなロマネスク様式。

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シンプルで力強い建築です。
残念ながら内部の撮影は禁止。
30年前は撮影したのですが、残念。
設計者の鉄川与助の特徴がよく出ていて、
シンプルで美しいステンドグラスが見られます。
外観はロマネスクですが、内部は鉄川与助が大工出身ということで
東洋的なデザインと西洋的なデザインが融合した独特の雰囲気があります。

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2015年11月02日

長崎:カトリック教会を巡る旅 C平戸市切支丹資料館・おろくにん様 2015.10.28

長崎:カトリック教会を巡る旅Cはもっとも衝撃を受けた平戸市切支丹資料館とおろくにん様。
根獅子の切支丹資料館では、なんと隠れキリシタンの最後の水役の方が登場。
限られた地域の中で独自に守られてきた人々の厳しい掟の話を伺いました。
1550年、フランシスコ・ザビエルがもたらしたキリスト教。
根獅子地区でも住民のほとんどがキリスト教信者になりました。
でも1596年には豊臣秀吉の切支丹禁教令、
1612年には江戸幕府の禁教令が出されキリシタンは迫害を受けます。
そして秘密裏に信仰を守った人々を隠れキリシタンといいます。
根獅子の切支丹資料館は、根獅子のキリシタンの聖地に建てられています。
柱に隠されたクルスやオラショなどを展示。

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切支丹資料館の奥の森にはおろくにん様があります。

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おろくにん様は殺された家族を祀っている聖地です。
両親と娘3人の5人家族の家に、ある男がやってきて、やがて長女と結婚。
一家は男に自分たちがキリシタンでることを打ち明けます。
すると男は一家を密告。

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そして1566年、 一家は根獅子の浜で処刑されました。
その岩は「昇天石」と言われています。
「おろくにん様」とは6人のこと、6人目は長女のお腹にいた赤ちゃんです。
そして遺体はうしわきの森に葬られました。
この場所は聖地。案内してくださった方は中には靴を脱いで裸足で入ると言われました。

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長崎:カトリック教会を巡る旅 B鄭成功児誕石 2015.10.28

平戸大橋を渡り根獅子に行く途中に鄭成功(てい せいこう1624 - 1662)誕生の地がありました。
鄭成功はは中国明代の軍人、政治家。清に滅ぼされようとしている明を擁護しました。
平戸で父鄭芝竜と母田川マツの間に生まれています。
マツが千里ヶ浜で貝拾いの時、産気づいて
千里ヶ浜の大石(千里ヶ浜児誕石)にもたれて、
鄭成功は生まれたということです。

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2015年10月31日

長崎:カトリック教会を巡る旅 @神埼(こうざき)教会 2015.10.28

歴史好きを集めたM氏倶楽部ツアーに誘われて、
長崎のカトリック教会を巡る旅に出かけました。
最初に訪れたのは佐世保市小佐々町の神埼教会。
聖ベネディクトが保護者。

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建物は以前のものが取り壊されて、今の位置に新しく建て直されたようで残念。

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ここを手始めに、
この地に迫害されながらも
秘かに続けられてきた信仰というものについて考えさせられる旅になりました。
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2011年11月17日

九十九島クルージング プチたび その5 九十九島せんぺい

ゆっくり、ゆっくりご紹介してきた「九十九島クルージング プチたび」。
ラストはお土産。

もちろん「九十九島せんぺい」でしょう。
このおせんぺいは、かなり美味しいです。

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小麦粉で作った亀甲型のおせんぺい。
それにピーナッツを九十九島の島々に見立ててちりばめています。
表にメレンゲを使って「九十九島」と書かれています。
パリパリしていて、とても美味しいので、
お土産品でしょと、侮ることなかれ。
ピーナッツを入れることに成功したお菓子の例でしょう。

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