先日からの伊王島への旅ですが、
実は旅の途中で軍艦島へ足を延ばしました。
今日はそのご報告。
伊王島の港から軍艦島に船が出ているのです。
長崎港から出航した船が伊王島に立ち寄って軍艦島に向かいます。
出港前の手続きで乗ることができました。
軍艦島の正式な名前は端島(はしま)。
かつて炭鉱としてにぎわったものの、1974年に無人島となってからは
加速度的に廃墟化してしまいました。
軍艦に似ていることから、
そう呼ばれることになったこの島は
増殖を重ねた特異な姿から写真家や画家や小説家のモチーフとして
幾度となく取り上げられてきました。
では、イブの夜、
わたしと一緒に軍艦島に上陸してみますか?
伊王島の港に船がやってきました。


ブラックダイヤモンド号。かっこいい。。。
クルーの出で立ちは黒ヘルに黒いジャンバー。
きびきびした動作で船を接岸させます。
前日は伊王島に行く船が揺れたのでびびっていたのですが、
この日は大丈夫。
高島を通りすぎてしばらくすると、
あの軍艦島が目の前に!

本で読んで、写真集で見たきた、あの軍艦島です。。。

近づくと絶句。言葉をなくします。

これは天川の護岸。
端島で石炭が発見されたのは江戸時代のこと。
端島鉱が開坑されたのは明治3年。
明治23年に三菱の経営に移ります。
それから1974年まで海底の奥へ奥へと掘り進みました。
小さな岩だけの島がどんどん拡張され、
この護岸は明治期のもの。
天川(あまかわ)という接着剤を使って石を積み上げました。
この護岸は島のあちこちに残っていて、
端島独特の景観を作っています。

軍艦島クルージングで見学できる場所は
桟橋から左手の島の5分の1くらいのところに限られています。
見学ルートはきちんと整備されています。
ただ、上陸はその日の天候次第。
わたしが訪れた日の前日は島の近くまで行ったものの、
上陸はできなかったそう。
わたしの友だちが数日前、伊王島に行ったときは船が出港しなかったそう。
わたしが上陸できたのはラッキーでした。

上陸したら3つのポイントで案内の坂口さんが解説してくれます。
かつて軍艦島で暮らし、
この島を世界遺産にする活動をしていらっしゃる坂口さんが
切々と島の暮らしを語ってくれます。
すばらしい適任者。淀みなく滔々と語る名解説者です。
初めての軍艦島を、この方の説明を聞きながら歩けるなんて幸運です。
小さな島なのに日本一の人口密度だった島。
危険と隣あわせの過酷な炭鉱の仕事。
黒字経営でありながら廃坑が決まり、
たった3ヶ月で島を去らなければならなかった人々。。。
もうあとに住む者はない島。
だからいらないものは置き去りにしていった。
話を聞いていると目頭が熱くなってきます。。。

総合事務所。
鉱山の中心だったレンガ造りの建物。
この中には鉱山で働く人々の共同浴場がありました。
湯船はいつも真っ黒でした。

第二竪工坑口桟橋跡。
坑道に入っていくとき、背中を見せる炭鉱マンの顔は緊張していました。
海底に掘られた穴の中に入っていくのですから当然でした。

海底ケーブルの引き込み口。



子どもたちの歓声が聞こえていたプールの跡。



お別れです。
ドルフィン桟橋に戻ります。


桟橋を渡ります。
帰りの航路、船は軍艦島がきれに見えるところで停止してくれます。

デッキに出て、強い風を受けながら眺めました。
さようなら軍艦島。。。