今年は「ぷち旅」と「歩かんね」で4回ガイドをしました。
ガイドの前には下見をするわけですが、
11月6日のぷち旅「紅葉狩りと紅葉家紋の切り絵体験」散策の下調べでは
どうしても行っておきたいお寺がありました。
それがうきは町の本佛寺。

本佛寺
ぷち旅では政庁跡正殿跡左後ろにある4本の銀杏の木を紹介したかったのです。

政庁跡の銀杏
下調べで銀杏が重要なキーワードになるとは思いも寄りませんでした。
政庁跡の真後ろに日菅寺というお寺があります。

日菅寺は1915年に日菅上人を功績を称えるために建てられました。

日菅上人像@本佛寺
日菅上人は佐野前励といい、
1859年に美濃の家老の家に生まれ僧侶となった人。
日蓮宗の改革に乗り出すも破れ、飛ばされたのが浮羽の本佛寺でした。
そこで東公園に日蓮像を建設するために奔走するも頓挫。
僧階すら剥奪され失意のうちに政庁跡に體精庵という草案を建て起死回生を待ちました。
このとき、菅原道真に自らの境遇を重ね、
日菅と名を改めたのだそうです。
銅像建設成就のため太宰府天満宮に日参しました。
半年後に許され本佛寺に戻り、日蓮像建設運動ほか数々の事業に奔走。
日菅上人の運動で榎社から政庁跡に通じる新道路も開通。
政庁跡には天智天皇の像を祀った天智殿が完成。
天智殿は大正末か昭和の初めまで正殿付近にありました。
日蓮像は1904年に完成。
現在博多の本岳寺がお守りしていると、
先月の博多千年煌夜のときに伺いました。
日菅上人は1912(大正元)年、54歳でその生涯を閉じました。
日菅上人がいた體精庵は正殿左後ろの銀杏の木の場所にあったと本佛寺から伺いました。
體精庵はその後、本佛寺に移築。
本佛寺境内を探しましたが、平成27年〜28年ごろ火事で焼けてしまったとのことで残念でした。
本佛寺には大銀杏がありますが、こちらも枝を切り取られていました。

本佛寺の銀杏
40年くらい前(?)に本佛寺に行ったのですが、
銀杏の落葉があまりに美しかったことを記憶に留めています。
本佛寺に見事な銀杏があったから、
體精庵跡に銀杏が植えられたのではないかと、
これはわたしの憶測ですがそう思っています。
そして日菅寺へ行ってみたところ、
やはり立派な銀杏の木が色づいていました。

日菅寺の銀杏
本佛寺、政庁跡、日菅寺。
日菅上人につながる3つの場所にある銀杏。
この符号は意識してつけられたものだと思えるのでした。